小さい頃、兄によってここに閉じ込められた。
白くて、白くて、四角い部屋。
ベッドも、机も、本も、生活するのに必要なものはなんでもある。
けど、けれど、その部屋には窓はなく、扉には外から鍵がかかっていた。
兄は、僕を恐れた。
正確には、僕が兄のもとからいなくなる事を恐れた。
独りになることを恐れた兄は、昔から寂しがりやだった。
最初は、何をする、ここから出せ、と怒り狂った。叫んだ。
暫くたって、ここから出してくれ、お願いだから、と泣いて懇願した。
大分経ってから、もう何も言わなくなった。
兄が料理を運んできても、僕に話し掛けても、何も言わなくなった。
ただ、本を読んで、一人でチェスをするだけだ。
キング、クイーン。
男と、女。
伴侶。
少し、憧れた。
過去へと記憶を飛ばす事が多かった。
何度も、何度も。
そうしたら、レコードのように、擦り切れてきて、最後にはよく思い出せなくなってきた。
悲しくて、悲しくて。
彼女の名前を泣き叫び、呼んだ。
兄が部屋に来たが、彼女の名を叫び続けた。
壊れたと、思った。
だけど、自分は壊れてなどなく、むしろ前よりもはっきりと意識を持った。
彼女はいない。
ここには、自分と彼だけ。
そして、この星には、彼女が命をかけて守った命があるはずだ。
会いたいと、思った。
彼女の、こどもたちに。
自分と、兄の、同胞に。兄弟に。
ここから出ようとして、部屋の中にある僅かなもので、ドアを開けようとした。
開かない。なんで。
手で、何度も、何度も扉を叩き、手から血が滲み出ても叩き続けた。
開けよぉ、と叫んだら、右肩が破裂した。
何、と思うまもなく溢れ出る羽、羽、羽。
なに、何だこれ、こわい、こわい、助けて。
光の洪水に流されそうになったが、なんとか踏み止まった。
大きなものが、はじけそうになったが、それは嫌だ、何もわからず思って、右肩を左の手で抑えた。
小さくなった、と思ったら、風船の割れるような音がして、扉が消えた。
よくわからなかったけど、恐くて足が震えていたけれど、ここから出なければ、と思って駆け出した。
走るなど、かなり久しぶりだった。少年の時以来だ。
長い髪が邪魔だったけど、構わずに走った。
突然の労働に筋肉は悲鳴をあげ、喉からは呼吸とは思えない音が出ていたが、頭はすっきりとしていた。
いつのまにか羽も消え、いつもの自分の腕があった。
ああ、後もう少し。
長い廊下が、終ろうとしていた。
この目の前にいる男、ナイブズに集められた特殊な人間たち。
その中に自分もいるのだと思い出し、吐き気がした。
なんだというのだ、この男は、自分は、この世界は。
ナイブズは豪奢な椅子に腰掛け、自分たちを見下ろしていた。
神でも気取るつもりかっちゅーねん。
いや、実際神にも等しいのだろう、この男は。
箱舟内の、大きな空間。
一体どれほどの広さなのか検討もつかないこの場所で、ナイブズは静かに語りだした。
害虫退治だ、と。
この男は、自分と、彼女達以外は駆除すべき害虫だと言うのだ。
神を気取る男と、天使を象った彼女達。
その前にいる自分らは、一体何になるのか、巨大な柱に持たれながら、ぼんやりと考えた瞬間。
目の前で椅子に座っていた男が、突然上半身を倒した。
自分の左腕を抑え、細かに震えていた。
「ナイブズ様!!!」
その異様な光景にナイブズの信者である青い髪の男は叫んだ。
その他のヤツラも、信じられないという思いでナイブズを見詰めた。
今まで感情を見せず、ただ無表情に、淡々と語っていた男が突然、額に汗を浮かべ苦しみだしたのだ。
「・・・・・・っ、」
苦しげにしていたナイブズは、唐突に顔を上げ、驚きの表情をした。
驚く自分らを無視し、勢いよく椅子から立ち上がると、背を向け、走り出した。
その後を、レガートと、エレンディラが追い、駆け出した。
一体何が起きているのかわからないが、あの男をそこまで追い立てたものがなんなのか、気にはなったが。
隣に寄って来た白いスーツの男が話し掛けてきた。
「あの先はあの方以外通ることを許されぬ地だが、チャペル、お前は何があると思う?」
いつものように、薄い笑みを浮かべつつも、目は楽しみで仕方がない、と語っている。
「さあ、神のみぞ知る、ちゅーやつやろ」
なるほど、と隣のラッパ吹きは笑った。
先程から煩く鳴り響く警報機が耳をつく。
慣れぬ運動に全身が追いつかなくなり、壁に寄りかかりながら進んでいくしかない。
身体全部が心臓になったみたいだ。
はやく、はやく此処から出ないと。
来てしまう、兄が。ナイブズが。
もう一度、もう一度空気を吸い込んだら、走り出そう。
その時、誰かがこちらへ走ってくるのが聞こえた。
一人じゃない、足音。
ナイブズだけじゃない、だれ、だれ。
でも、逃げないと、はやくここから。
あの部屋からは、遠ざかるように、ナイブズたちに見つからないように、走った。
ナイブズは心の中でずっと疑問に思っていた。
なぜ、今になって、と。
今までこちらが何をしても無反応だった。
眠りにつけば何十年と眠り続けるあいつの心はすでにこちらの世界に興味をなくしているように
思っていたのに。
あの力を感じ取って、喜びを感じた反面、恐怖も湧きあがった。
何が、あった。
ヴァッシュ。
複雑なつくりにした通路を、走りぬけ、目的の部屋へと辿り着いた。
ギリッ、と奥歯が軋む音を聞き、更に舌打ちをする。
あいつがいた部屋に強烈な力を感じたので、ここまで走ってきたが、既にそこはもぬけのからとなっていた。
力の痕跡が強すぎる。
その発生源であるもう一人の自分の存在が消されていた。
太陽のような痕跡の前ではあいつの存在を探るのは無理だ。
自分を追いかけてきた二人を無視し、ナイブズは踵をかえすと、つい先程まで走り抜けた通路を戻っていった。
エレンディラはその行動を訝しげに思いつつ、ナイブズの後を追う。
もう一人の忠実な僕であるレガートは、不自然にぽっかりと穴が空いた金庫のような厚さの扉を見詰め、
ナイブズの後を追った。
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