恋愛奇談
生まれてこの方、心霊現象とは縁のない生活を送ってきた。
牧師という職に就きながら、それはないのではないかと言われたが、
教会にそういうものがいるわけあらへんやろ、と笑ってかわしてきたというのに。
友人達が金縛りやら、足を引っ張られたやら、腹にババアが乗ってたやらという話は
聞いてきた。職業柄相談もされた。
しかし、何も経験したことがないのに、未知との遭遇などしたことがないのにどう
相談に乗ればいいというのだ。
一応それっぽい話をして、信者を帰すと、皆解決しました、牧師様のお陰です、と
言ってきた。つまりは、気の持ちようなのだろうと、納得していた。
みな、幻覚を見たのだと。
だから心霊現象など信じていなかった。


教会の配置換えでこの街にきて、来てみたら教会がまだ建っていないという。
一時の住まいを探していたら格安の高級マンション。
交通も便利で、日当たりもよし、しかも防音。
一体この破格の値段は何なのだと、不動産屋に聞いてみたところ、
「この部屋、出るってもっぱらの噂なんですよ」と、恐い顔を作って汗だらけの顔を近づけられた。
思い切り顔をそらしつつ、じゃあ、この部屋貸してくれ、と頼むとものすごい剣幕でいいんですか、
お客様、この部屋どの持ち主も一週間と持たなかったのですよ!と唾を吐き散らしながら言ってきた。
売るのが目的やないんかい、と頭の中で思いつつ、この場所でこの値段や、買うに決まってるやろ、
と言って、まだしつこく食い下がってくる不動産屋に書類を出させ、契約をした。

そう、それが昨日までの事。
その日は下見で、やはり凄い住まいだと、これからここに住むのかと胸高鳴らせて終わった。
そして、今日は少ない家具を運びこんで、引っ越し終了。
あまりにも広すぎる部屋に、少ししかない家具達は違和感ありまくりだが、これから馴染ませればいい、
と思う。教会が建つ予定地に近いので、このままここから通うという手もある。
それに、こんなに広いのなら孤児院の子供達を招くことも出来る。
これからの予定を頭に立てて、思わずにんまりとする。
とりあえず、今日の予定はこれで終了。
このあと何をしよう、と頭をひねり、暫く考えた結果、近所に何があるのか探検することに決定した。

「はー、つっかれたわー、」
両手一杯に持っていたビニール袋を床にどさりと置く。
色々歩き回り、近くの大型スーパーで掃除用具や生活用品を買い、ついでに今晩の食料も買って今日は終了。
「しっかし、おばちゃん達は元気やなー、」
家具を運んでいる間に、マンションの方々にご挨拶。
買い物中にもお店のおばちゃん達にご挨拶。
近所に牧師が、しかも年若い牧師が越してきた事を喜んでいるようで、おばちゃん達の熱い歓迎を受けた。
叩かれた二の腕が少々痛かったが、ご婦人には優しく、をモットーとしていた祖父に倣い、
痛がる素振りは見せず、笑顔で対応をした。
これで完璧やろ。
とりあえず、晩ご飯の準備である。
でかい台所の割に、小さな冷蔵庫。
その中に今日買った食材を入れ、ビールを飲む。
リビングの床に胡座をかいて座り込み、ふう、と一息ついた。
ソファなどというものは持っていないので、床に直接座り込むしかない。
別にこれで不自由はしない。
窓からの夜景を眺め、いい買い物をした、と満足している矢先、それは起こった。

最初は、キーン、という耳鳴り。
なんや、もう酔ったんか、とあまり深く考えずにいると、こんどは後ろの方でパシン、と
何かが破裂する音が聞こえた。
後ろを振りかえり、コップでも落ちで割れたんやろか、と訝しげに思っていると、
もう一度、今度は先程まで夜景を眺めていた窓側からパシンと、音がした。
後ろを見るために捻っていた首を元に戻し、窓側をじっと見つめる。
しばらくたっても、何の音も聞こえない。
なんや、気のせいか、と思い、右手に持っていたビールを一気に飲み干した。
疲れてんのやな。
そして、缶を横に置く。
一気に、鳥肌が立った。
先程まで何も無かった空間に、人が座っているのをはっきりと感じた。


今まで、何度も死ぬ思いや、恐怖を感じたことはあった。
牧師という職に就きつつも、金を得るために色々としてきた。
殺しも、した。
聖職者にあるまじき行為だが、あいつらを生かすために、自分が生きていくために殺した。
罪悪感や、後悔などという感情はとうに捨て去っている。
そうしなければ、やっていけない。

しかし、この恐怖は。
これほど恐ろしいと思ったことはない。
出来れば逃げ出したい、声を張り上げて、この場から走り去りたい。
隣に何かの気配を感じながら、身体中から冷や汗が出る。
身体を動かしたいのだが、情けないことに指一つ動かすことが出来なかった。
なんやねん、なんやねん、なんやねん、これ!
上手く思考が働かない。
こんな時に思い出すのは友人達の実際にあった心霊現象の話ばかり。
あかんて、更に恐くなるだけやん!
ひいー、と思いつつなんとか目だけを、隣にやる。
恐いもの見たさってこんなのやなー・・・と頭のどこかで呑気に考えつつも心臓は
ばくばくである。
隣に、何か白い、はっきりとしないものが見えた。
ぎゃーー!!
声にならない叫びを上げた。
しかし、馴れというものはこんな時にもあるもので。
人よりもすぐにその場に馴染むのが上手いこの牧師、最初に感じた恐怖が薄れてくると、
後は好奇心のみで。
なんや、こいつ。出てきても隣に座ってるだけかいな。
段々と、興味が沸いてきた。
何せ、今まで霊というものを見たことがないのだから。
ゆっくりと、首を動かし、隣の霊を見た。
しかし、何せはっきりとは見えない、ただの白いもやがそこにあるだけにしか見えないのである。
牧師はそのことに少し落胆し、溜息を吐いた。
すると、今までぼやけていた白い物が、段々と形を帯びてきて、人へと変化した。
牧師は、その霊の横顔に心を奪われた。
自分と同じように床に直接座り込み、じっと、窓の外を見ていた。
体育座りの様に両膝をかかえ、ぼんやりと外を見つめるその顔は、人間では有り得ないほどに白く、透き通っていた。
白く、月のような光を放つ黄金色の髪。
同じ色の長い睫に、青い瞳。
こんなん、みたことあらへん。
動けなかった。
先程の恐怖などではなく、あまりにも、何もかもが牧師の心を捉えすぎて。
ゆっくりと、白い顔がこちらを向く。
目が合う。逸らせない。
左目に泣き黒子。
ゆっくりと、瞬いて、こちらを見やる。
人形のような顔が、徐々に表情をつけていく。
目を細め、口の両端を少し上げて、優しい瞳。
ああ、これは笑っているのか、と頭のどこかで考える。
何一つ動かせずに、ただ、相手がゆっくりとこちらに倒れるように近づくのを待った。
鼻が触れ合うか触れ合わないかの所で、淡い色の唇が、動いた。
しかし、その唇から音が発せられることはなく、声が聞きたいと思った牧師は思わず声を出した。

「聞こえ、へん」

情けないことに、少し震えていたその声に、相手はびくりと、身体を強ばらせた。
微かな微笑みを浮かべていた顔は、戸惑いの表情を浮かべ、牧師の瞳を覗き込んだ。
さらに短くなった距離に、牧師は息を飲み、どこまでも青い瞳を見つめ返した。

−−・・・・違う・・・−−

今度は唇は動いていないのに、耳元に誰かが囁くような近さで、声が聞こえた。
か細く、今にも消えそうな声。
鳥肌が、たつ。
目の前にいる、白い者に全神経が向けられる。
泣きそうな顔を浮かべ、そいつは消えた。





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あかん」

牧師は霊が消えてもしばらくは動けずに、放心したようにその場所を見つめていたが、
突然ばたりと仰向けに倒れ、盛大な溜息を吐いて、天井を見上げた。
まだ越してきたばかりで真っ白い天井。
緊張が解け、一気にあふれ出た汗に舌打ちをし、目頭を押さえた。

「ほんまもんやんか・・・・」

初めての霊体験。
それにたいしての恐怖感も多少はあるものの、今はそれどころではなかった。
全身が熱を持ったような感覚。
頭が少し痺れて、先程の光景が蘇る。
この感覚には覚えがある。
昔、抱いた想い。

「こん年んなって・・一目惚れはあらへんやろ・・・」

決して叶うことのないこの想いは、恋心。
抱いたと同時に失恋した牧師の心は、本気で涙が出るほどの痛みを訴えた。











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