5、想う

ちなみに言うと、想い人は男だ。黒く、そこら辺の女よりも綺麗な艶を放っている髪をしていたとしても、相手は立派な男だ。しかも、自分とは違い生身の侍で、あの大戦を生き抜き、己の腕一つで今の地位を手に入れた、大層な男だ。それでもって、自分の上司だ。そうして恐らく、相手は自分の事をただの同じ職場の部下だと思っている。いや、覚えられているのかさえ、怪しい。そんな、距離の人だ。


喚く男の喉を、瞬きの合間に斬る男の手腕を、ただ呆然と見つめていた。噴出す血の色と、同じ色を纏った男は喜ぶでもなく、ましてや恐怖するでもなく、ただ淡々と剣についた血を払った。固められた街中の道路では、血は吸い込まれることなくじわりじわりとその色を広げていく。男の溢れ出る命を見て、ただ立ち尽くすしかなかった。
腕に、自信があったのだ。
周囲の誰よりも腕が立ち、兵士になって、敵を沢山打てば出世できると思っていた。だから、終戦間近であっても軍に志願した。何より、それ以外に進む道が見つけられなかった。そして、配属された先で腕を片方失った。後悔しなかったと言えば嘘になる。そこが、きっと彼らサムライと呼ばれる男たちとの違いだろう。
自分が、弱いとは思っていない。むしろ、強い部類には入っている。だからこうして用心棒の仕事に有りつけている。この街の差配、アヤマロの息子ウキョウ。正直、あまり好きな人種ではないのだが、提示された条件は自分の今までの生活を振り返れば破格と言ってもよかった。だから、守るべき人物が気に食わないとしても、自分はこの仕事を辞める気はさらさらない。それに、今では違う理由までついてしまった。
血を払った剣を鞘に収め、その場を去ろうとする男に近寄る人物を視界の隅に見つけ、思わずあ、と小さな声をあげた。その声につられてか、隣にいた同僚が目の変わりとなっているモノアイをぎょろりと動かす。長い黒髪が風に攫われるように靡いている。この街は、上層になればなるほど風が強い。煩わしそうに髪を掻き揚げているその仕草にさえ、目を奪われているだなんて、誰にも言えやしない。
「キュウゾウ」
落ち着いた声。一体何度、貴方はその名を呼んでいるのだろう。声に馴染んだ男の名に、自分で嫌になるくらい、嫉妬している。キュウゾウと呼ばれた男はたった今、己が切り伏せた男の事など見えないかのように振り返り、当たり前のようにあの人の隣に立つ。眉間に力が入るのがわかる。どうした、と隣に立つ同僚が訝しげに声をかけてきても、まともに返事は返せなかった。責めるような口調で、許したような笑顔を浮かべるあの人の前に立つ男が、羨ましくて仕方がなかった。

金持ちの坊ちゃんの考える事は、わからん。それはこの屋敷で働く者達全員に共通する認識。女達を集めて饗宴騒ぎ、というのは、男としてわからんものでもないけれど、あの坊ちゃまは女に溺れているわけではない。時折、狂気にも似た感覚を感じては背筋を冷たいものが走る。こんな若造に、何を恐れているのかと苦い笑みを浮かべてみても、だからこそ、何をしでかすかわからない思いを知る。人の体温を持たない腕が、きしきしと軋む度に、昔には戻れない自分を知る。商人の犬に成り下がった自分は、もう戦場には立てないだろう。だけど、あの人達は明日戦になろうとも、当たり前のように刀を抜くのだろう。
ああと盛大な溜息が出るのは仕方ないじゃないか。どうして、あんなに格好いい人に惚れるんだ俺は。想いを告げる勇気もなく、しかも彼の人の隣には自分では到底敵いそうに無い侍が一人。はあ、と零れた息さえ恨めしく、男は一人、頬杖をつきながら想い人を想った。









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