それは彼の中では絶対な約束だった。
絶対、守られなければいけない約束だった。
だけど、彼はその約束を破られた。大好きな、大好きなあの人に。
「嫌い」
「ごめんなさい」
「大嫌い」
「すみません」
先ほどからずっと続く遣り取り。意固地に男に背を向ける子供は、本当に怒っているのだろう。静かな霊気が立ち昇って目に見えるようだった。これは喜助の分が悪いな、と行儀悪く机に肘をのせ、顎をのせて夜一はずっとこの光景を見詰めている。小さな子供が、絶対ね、と嬉しそうに満面に笑みを浮かべて小指を差し出す場面は容易に想像ができる。そして、そんな可愛らしい子供の様子にだらしのない顔でええ、いいですよと鼻の下をのばして小指を差し出す男の姿も。可愛らしくて、さらには愛しいという気持まで混ざってしまっている男の心に子供は第一の優先事項だ。けれど、それも時たま『仕事』という障害によって阻まれてしまう。
一応、この先ほどから小さな子供にむかって必死に謝っている男は死神の頂点に立つ13人のうちの一人。しかもこの世界を発展させた局の長まで務めているときたものだ。男についた肩書きに群がる人間は多数だろうが、今の、まるで恋人の許しを請うている男に群がる人間など一人もいないだろう。情けなや、と思いながらも、夜一の口元には笑みが広がっていた。なんと平和な光景だろうか。
子供の機嫌を取ろうとする大人。
本当は、それほど怒ってはいないんだけど意地になってしまう可愛らしい子供。
そして、それを呑気に眺めている自分。
常に死と隣り合わせで生きてきた自分たちにとって、子供は突如舞い降りた『幸福』そのものだった。
「約束って言ったのに」
「・・・・・すいません」
「絶対って、言ったのに・・・」
「もう、約束は破りません。誓います」
だからお願いです、こっちを向いてはもらえませんか。情けない男の姿。男の声。男の言葉。これでは本当に駄目な男だのう。と呟くと鋭い瞳に黙ってろと射抜かれるがそんなものは利かない。何年お主と付き合っていると思っているのだ。ただでさえ子供を前にして気が緩んでいるお主の気など。ふん、と鼻で笑い子供の隣に座った。あ、と咎めるような声を発した男のことなど無視して。
「一護、そろそろ許してやってはどうじゃ?」
「・・・・・だって、約束って」
「そうじゃな。約束を守らぬ喜助が悪いな」
後ろから助けてくれんですかと肩の力を抜いた男の顔が青褪める。その姿は背をむけている子供や夜一には見えないけれど、想像できる。
「しかしな、一護と喜助のした約束に、期限はあったか?」
「期限?」
「そう。お主は町に遊びに行きたいといった。そして喜助はそれを了承し、一緒に行こうと約束をした。」
「うん・・・・」
守られなかった約束を思い出したのか、一護の顔が沈む。後ろの男が慌てる気配。小さく夜一さん、と名を呼ばれるが知った事か。
「確かに、昨日喜助は一護と町へは行かなかった。しかし、その約束は昨日でなくてはいけなかったか?」
「・・・・・・ううん。」
小さな頭がふるふると振られ、それと同じに明るい髪がぱさぱさと音をたてる。そっと頭を撫で、軽く叩く。
「昨日町に行ける、と思っていたお主の落胆はわかる。だったら、その分今日町に連れて行って貰って存分に好きなものを買ってもらい、構ってもらえばいい」
だから、あの情けない男を許してやってはくれぬか。うざくて仕方ない。最後の言葉は飲み込んだが、一護は暫くその小さな頭で考え、結果を出そうとしている。はらはらと見守っているのだろう、揺れる視線を感じて夜一は噴出したいのを我慢した。そこまで馬鹿になれるものなのかと、その原因となった一護の旋毛を見詰める。
「喜助、」
「は、はいっ」
「町に連れてってくれる?」
「はいっ」
「何でも買ってくれる?」
「はい」
「ずっと、手繋いでてくれる?」
「・・・はいっ」
じゃあ、行こう?と今日初めて喜助の顔を見て、にこりと微笑んだ一護にじゃあ、と期待に満ちた顔で喜ぶ男。
「一護さん許してくれるんスか?」
これは尻に敷かれるな、と少し将来を見た傍観者は次の子供の言葉で、その考えを確定させた。
「許してなんて、あげない!」
満面の笑みで告げたその言葉に溢れる思いに、夜一は再び平和だな、と思った。
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