13、笑っていてくださいいつまでも
貴方が好きなんですと、泣きそうな声で告げれば、
相手は困ったように笑みを浮かべて、
ありがとう、
とそれだけを言った。

…そして、逝った。
















笑っていてください、いつまでも


















晴れた空、を見上げて少年はいい天気だと思うでもなく、この空を作り出している装置について考えを巡らせる。青という色の濃色。淡色。風を頬に感じれば空の雲にも動きが現れる。それは、地上に生きていた者にとっては当たり前の現象。風が吹けば雲は流れ、時が経てば空は色を変える。陽は昇り、そして沈む。それは、時間が生み出す現象。

ご、と風の鳴る音を耳で聞くよりも先に、身体で感じる。視覚、聴覚、触覚。この世界に来た時、少年はまず己の感覚を疑った。死を迎えたはずの己が、なぜ風を感じ、目の前の人々を見れるのかという事を。黒い袴を着た男が言う。
「ここは死後の世界。お前たちのいた『現世』とは異なる場である。まず、認識して貰いたい。お前たちは既に肉体を失い、魂だけの存在だ。これから、転生の準備を迎える為に、今暫くこの世界に留まってもらう事となる」
「ここは、あの世、か、」
一人の男が、呆然と呟く。その頃、少年だけでなく、その説明を聞いていた者達も皆、つい先ほどまで自分たちのいた世界を『現世』とは呼んでいなかった。自分たちの立つ場に、名がつけられていた事など知りもしない。死後の世界。あの世と呼び、自分たちの立つ場とは違う世界なのだと、思い込んでいた世界に少年はいた。やはり自分は死んだのだと理解し、そして己の身体の違和感に気がつく。
肉体を失い、魂だけの存在。
そう、黒い袴の男は言った。では、なぜ自分の肌は風を感じているのか。この、土の匂いを嗅ぎとっているのか。肉体が無ければ、感じる事のできない感覚のはずだと、少年は歳若かったが知っていた。戸惑いの声を上げる大人たちを、表情を消し去った黒い袴の男が、淡々と振り分けていく。少年の番になった時、振り分けられた番号を頭の隅に置いて、その疑問を男に問い掛けてみた。男は酷く驚いた顔をした後に、一切の感情をその顔から消した。
「それはお前達が現世で生きてきた記憶を頼りに作られた感覚だ。実際、お前の身体は風を感じはしないし、土の匂いなど、嗅げるはずもない。しかし、少しの霊力があればその感覚は現実のものだ。子供。お前は風を、土の匂いを異質だと感じた。この世界へ来たばかりでその違和感に気がついたのには脅威だと言ってもいい。しかし、口にすべきではなかった」
お前の行くべき土地は、更に遠くになるだろう。
冷酷に見える眼差しの奥で、その瞳が揺れているのを感じた少年は、自分が言ってはいけない事を言ったのだと理解した。男の瞳に移った同情が、少年に重く圧し掛かっていた。

魂だけの存在となったはずなのに、自分は血を流し、痛みを感じ、そして空腹を感じた。放り投げられるように落とされた土地で、その事を口にすれば少年は的となった。聞きたかった答えは、痛みで指先一つ動かせない状態の上に吐き捨てられた。霊力が高ければ、それに比例して腹を空かす。それだけでなく、生きていた頃と同じように痛みを感じ、血を流すのだと、暗い目をした男の言葉が朦朧とした頭に響いた。なるほど、それで自分が腹を空かせているのだと知り、少年は新たに霊力について疑問を抱く。では、この力は一体何の為にあるものなのか。腹を空かせ、痛みを感じ。はっきり言って、その力を少年は必要とはしていなかった。霊力がなければこうまで苦しまないものを。しかし、それと同時に、己の力に対しての興味が沸いた。他の者との霊力の差。その意味。少年は、自分の知識の足りなさが酷く恨めしかった。
霊力の無い者にも、血が流れているのだと、自分を踏み潰していた男を斬った時に知った。『現世』とこの世界の差は、霊力と呼ばれるものによって作られている事も知る。それ以外は、土も植物も動物も、全て同じだ。この世界は一体なんなのだと思い始めた頃、少年は死神と呼ばれる存在に出会った。黒い袴と着た男たち。自分を見下ろしていた、あの男の姿を思い浮かべる。
死神たちからは、多くの知識を仕入れる事ができた。この世界の階層で、一番底辺に位置する場所にいた少年にとって、一番上に君臨する世界は酷く魅力的に映った。そこへ行けば知識を得ることが出来る。
少年には、その時仲間と呼べる者達がいた。それは子供ばかりで作られた徒党であり、少年を頭として皆なんとか生きてこれた者達だった。この世界で生きて行く事は難しい。だから、少年は上の階層に行く事を決めた。残念ながら、霊力を持っていたのは少年だけだったので、彼は一人でその階層から去っていった。仲間たちよりも、少年にとって知識のほうが魅力的に目に映った。上へ、上へと階層を移動する度に様変わりする風景に驚き、ここならば仲間達は己がいなくとも生きてゆけると思い、少年は望んでいた白い壁を目の前にして一度引き返す事にした。その頃には、少年にはある程度力はついており、死神たちとの張れる知識を持っていた。だから、仲間たちをこの階層へ連れてくるなど造作もない事。ついこの間まで己の住処であった界隈に足を踏み入れた時、少年は初めて後悔した。
仲間達の墓を作り、道端に生えている花を添え、少年は再びその階層を去った。いつか戻ると、振り返りながら進んだ道を、少年は一度も振り返る事なく、そして、二度と戻ってくる事はなかった。


酷く、穏やかに時間の流れる空間で、少年は知識を集める事に没頭した。門の内へはすんなりと通る事ができ、目の前に提示された死神への道は、正しく少年の追い求めていた知識があった。低い階層出身であった少年は、しかし己の素性を話す事はなかったので、門の外から来た生徒にも、内にいた生徒にも溶け込む事はなかった。ただ、ひたすら目の前の書物と研究に没頭した。真面目だなと、誰かが呆れたように言い捨てたが、少年には知識を求める事しか興味がなかったし、それ以外に道はなかった。狂ったように頭を使い、疲れ果てて眠らなければ、彼はいつも悪夢に魘された。仲間達の顔を、忘れる事はないだろうという程、繰り返してみる夢。自分はどこかおかしいのだろう。
暫くして、今まで見てきた死神達とは明らかに違った死神が少年に声をかけてきた。
「どうしてこの世界に空があるのか、不思議に思った事はあるかい」
白い髪のせいか、酷く顔色が悪く見えた。あんたは誰だと聞けば、死神だと返ってきた。白い羽織は、死神の頂点に立つ証。その事を少年は知っていたけれど、別にどうでもよかった。彼は知識にしか興味が無く、そして今は院の講義や、資料を叩き込むのに夢中だった為、上の位には全く興味が無かった。暫く後に、この時を少年が思い返すとよくぞその場で斬られなかったものだと、自分の幸運を知る。十二の数字を背負った死神は、青い顔色に似合わない明るい笑顔を浮かべた。そこでようやく、少年は目の前の死神に興味を持つ。
「君、俺の手伝いをしてくれないか?」
その誘いを、一度は断った。今、自分にはまだ知るべき事がある。やるべき事もある。だから、今は行けないと。そうか、と死神本人はあっさり引き下がったのだが、周囲の者達がそれを許さなかった。こんな事はありえないのだと、顔を強張らせた教師と向き合い、無駄な時間だと引き下がろうとする少年を、皆が必死に説得した。最終的に、少年が折れる事となる。ここよりも、あの方に付いていけばもっと多くの知識を吸収できるだろうという、その一言が決め手だった。その頃の少年は貪欲に知識だけを求めていた。人との交流など必要ないと思い、霊力実技も自分には必要がないと受けてさえいなかった。よくぞ院を辞めさせられなかったものだと、白い髪の死神の前で零せば、それほどお前の頭脳に皆注目していたのだと、あの時よりも力を無くした笑顔で返された。
そうして、少年は死神の一員となった。浮竹という名の死神は少年に役職も何も与えず、研究所の一室だけを与えた。異例の抜擢をされた新人を、他の隊員達は見ようとするが、少年は研究室から滅多な事が無ければ一歩も外に出ようとはしなかった。名ばかりが彼らの間を駆け抜け、やれ醜い面相だの、狂人だのと騒がれた。しかし少年がその噂を聞くことになるのは、それから何十年も後の事。

時の流れが『現世』よりも緩いこの世界の空は、紛い物だ。全てのものが霊子で作られている世界。天候さえも操られているのだと知る。では、その装置を見せてくれと頼み込むが、それは死神には預かり知らぬ処とすげなく追い払われた。死神よりも上にいる者達の領域なのだと聞かされも、少年は納得がいかなかった。だから、自分でその装置を作った。盛大に降らせた雨の中、黒装束に身を包んだ者達に連れられ、白い石で作られた牢の中へと放り込まれた。力を抑えられる拘束具を、どう外そうかと画策している少年の下へ、同じく黒装束に身を包んだ少女が現れた。
「貴様が、この雨を降らしたのか?」
「そうだ」
細い、足が消えたと思った瞬間、盛大に蹴られた壁際まで飛んだ。
「この痴れ者が。貴様のせいで何人の魂が消えたと思うておる」
きらりと金色に光る少女の瞳に見つめられ、少年は動けなかった。
「なぜ、上の者どもが天候を作り出したか。この世界では本来は陽の光も存在せん。風もないし、あのような青空もない。だから彼らは空を作り、風を作り、この世界の安定を図った。わかるか。『現世』から来た魂達は多い。魂が揺らげば、この世界も揺らぐ。だから魂の安定を図る意味もあっての空だ。貴様が作り出した雨に打たれて多くの魂たちが消え去った」
「僕は、」
「消えた魂はもう二度と戻らぬ。本来なら、バランスを崩そうとした罪で貴様は消される処であったが、その才能に助けられたな」
身体の奥底から湧き上がってくる、沸々とした闇に飲み込まれそうになる。知識が、欲しいと思った。それさえあれば虐げられる事もなく、むざむざと仲間を死なせる事もない。金色の瞳が少年を射抜く。罪を与えられない少年は、何よりも重い罰を与えられた。己の頭を、一生憎んで生きていく少年を見つめ少女は小さく愚かなものだと呟いた。

やせ細った少年の姿を見つめ、浮竹は苦しそうに瞳を細めた。死神の地位剥奪もなく、数ヶ月の逗留で解放された少年は、その人相をがらりと変えていた。白に近い、くすんだ黄色い髪は好きに伸び、落ち窪んだ目元はしかしぎらぎらと光りを放つ。白い牢の中で、悪夢を見せられたかと、浮竹は目の前の少年が不憫でならなかった。しかし、犯してはいけない罪を許す気はない。
「暫く、研究所に行く事を禁じよう。他の新人の死神たちと同じような仕事を与える」
研究を禁じられた事に、少年の細い肩が震えたが、表情は変わらず、開かれた瞳はじっと膝の上に置かれた己の手の上に注がれたままだ。
「色々な人と、話せ。お前は少し外を知ったほうがいい」
少年が犯した罪は、しかし外に漏れる事はなかった。一介の死神が、死神の上に君臨する者達の領域へと達した事を隠したのと、浮竹が根回ししてくれたお陰だ。それと、なぜか知らないが、あの金色の瞳の少女も。
誰かと交流を持つ事自体久し振りな少年は、同期である死神たちとの会話から苦労した。明らかに自分よりも年上の同期達の中で、少年が出来る事と言ったら雑用以外に何もなかった。知識だけを追い求めた少年は、白打も剣技もからきしであったため、まずはそこからだと、身体を動かす事を強要された。同期の死神たちは少年に対して無理な注文ばかりをしてきたが、少年はそれを全てこなしていった。へとへとに疲れた処に、貴族の姫であったと発覚した金色の瞳の少女が修行だと少年を引っ張っていく。徐々に力を持ち始めた少年の周りには、気がつけば友と呼べる者達がいた。懐かしい感覚だと、口元に笑みを浮かべた少年のもとへ、浮竹が一人の死神を連れてきた。
黒い袴を着たその死神は、その髪の色のせいか、目を惹いた。染物の布でも、これほど鮮やかな色は出ないだろう。不機嫌そうな顔つきの死神を、浮竹は副官だと紹介した。
「黒崎だ。お前が来る前から現世任務についていてな」
自分の所属してる隊の副官くらいは知っておかないと、と目付きの悪い副官の前に引き出された。機嫌が悪いのか、どうもと頭を下げたがああ、と素っ気無い返事。なるべくなら関わりたくない人だと認識し、そそくさとその場を後にした。
帰還した副官についての情報は、少年が動くでもなく、簡単に手元に舞い込んできた。随分と破天荒な人物らしく、帰還早々十一番隊の隊舎を半壊させたらしい。触らぬ神に祟りなし。なるべく近寄らないようにしようと決めた矢先、浮竹が床に伏した。少年が駆けつけてみれば、枕もとに派手な髪の副官、足元には少年も何度か世話になった三席がいた。駆け込んできた少年の姿を見て、浮竹は何をそんなに急いでいると、白い、紙のような顔色で笑った。そこで気がついてしまった。この人は、長くはない。
「隊長が、倒れたって聞いて走ってきたんですよ。どうせまた無茶して寒風摩擦でもしてたんですか?」
「はは、その話はもう止してくれ。いや何、いい天気だったから久し振りに身体でも動かそうと思ってな」
「何時まで若い気でいるんスか。いい加減自分の歳を自覚した方がいいっスよ」
「手厳しい」
平時と変わらぬ会話をしながら、目つきの悪い副官の隣に座る。一介の死神の態度では無かったが、副官はじっと浮竹を見下ろしているだけで、少年に視線さえ向けなかった。副官の態度は、浮竹の傍にきてわかった。あまりにも薄い霊力。手に力が篭る。へらへらと薄笑いを浮かべる少年を、誰も叱りはしない。そして、浮竹は静かに息を引き取った。何度心の内に穴をあければこの馬鹿な脳が学習するのだろう。人の命は簡単に消える。何度、目にすれば自分は知るのだろうか。知識ばかりを追い求め、そして自分に残ったものは何だと笑いすら込上げてくる。力の込め過ぎた掌は、己の爪で傷だらけだった。この手には、何も残りはしない。
そしてまた、少年は一人を選ぶ。金の瞳の姫君はそれでも懲りずに少年を構うが、友と呼んでいた者達は自然と去っていった。浮竹がいなくなり、あの黒崎という副官が隊長になった。近寄らぬようにしようと決めていた相手は隊長だ。自分の研究の結果を報告しなければならない。憂鬱だと思っていた報告が、何時からか、研究の合間の息抜きへと変わっていくのは短期間だった。彼のどこに自分が気に入る要素があったのか、それは改めて探してみても見つかりはしない。それと同じに、彼が自分を気に入る要素も、見つけられなかった。実験、測定、実用。何度もそれを繰り返し、時折上から遣り過ぎだと注意されながらも少年は黙々と研究し続けた。そんなに篭っていて、身体が鈍りはしないかと、黒崎と金色の瞳の友が何度も少年を外へと連れ出し、倒れるまで扱く。始解に辿り付いた折、ふと少年は手っ取り早く卍解できないかと考えた。そうすれば、このように二人に扱かれる事はなくなるだろうと。少年は、二人にばれぬよう、ひっそりとそれを作った。しかし、途中で遊びにきた少女には見つかり、仕方無しに、実験の測定の意味も込めて少女に立会いを申し出た。結果は成功。しかし、予想以上に霊力を持っていかれ、己も、そして立ち会っていた少女も耐え切れずに意識を失った。何時まで経っても戻らない少年を探しに来た黒崎に見つけられるまで、二人して昏々と眠り続けていたらしい。覚醒して早々、黒崎からの拳骨で再び意識を失った。

緩やかに流れていく時に、既に埋もれかけた頃。浦原はいつものように隊長である黒崎に、俺の支援をしろと、まるで告白のような真剣さで言われた。不覚にも。からかいの言葉が出ずに、ただただ顔を赤くすることしかできなかった。副隊長に任じられたのだと気がついた時は、まさしく顔から火が吹き出る勢いだった。浦原の勘違いに気づかない鈍感な隊長でよかったと、安堵と落胆も、同時に味わった。
研究ばかりではすまなくなった己の立場に、何度も何度も隊長に不平不満を言い募った。その度に飛んでくる拳を避けれるようにまでなった時は、自分で自分を褒めてやろうと、少女が隠し持っていて秘蔵の酒で祝った。そして、その事に妙齢の女性となった少女は未だに気づいていない。
黒崎は、副隊長となった浦原をやれ虚退治だの、やれ視察だのといって連れまわす事が多くなった。どうやら、黒崎は黒崎なりに、浦原の事を心配してこういった行動を起しているらしく、浦原が外に出ることを好ましく思っている節があった。そういったところは、前の隊長とそっくりだと肩を竦めたが、構って貰うのは素直に嬉しかった。酒の席に初めて誘われたときは、その席のあまりの無礼講ぶりに唖然としたまま、酔いつぶれた隊長を介抱するので精一杯だった。十一番隊の酒席がここまで酷い有様だとは、実際この目で見てみないとわからないと知った。
上気した頬の色に、思わず口付けた。朦朧とした意識の相手に、しかも隊長相手になんて事をと後悔したが、黒崎の意識は既になく。この人に振り回されてばかりだと、黒崎の重さと体温を存分に味わいながら隊舎へと戻った。

そして黒崎は病に罹った。大量に吐かれた血の色に、浦原は唯呆然と突っ立っている事しかできずにいた。何故自分に教えなかったのだと
浮竹と同じように白い顔をした黒崎に詰め寄れば、浦原の隊長はははと、昔から変わらない、子供に対する笑みを浮かべてお前に心配をかけさせたくなかったのだと、浮竹と同じ事を言った。
なんて愚かなのだろうと思った。どうして、自分に関わろうとする大人達はみなこれほどまでに自分に甘いのだろう。出ることのない涙のかわり、ただただ貴方が好きだと告げることしか出来なかった。




貴方が好きなんですと、
泣きそうな声で告げれば、
相手は困ったように笑みを浮かべて、
ありがとう、
とそれだけを言った。

…そして、逝った。






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