8、くだらなくなんかない



もう、あすこへは行っては行けないよ。

あと数刻で陽も沈む、といった時に言われた祖母の言葉に、喜助はガツンと、頭を殴られたような衝撃を受けた。それを貴方が言うのですか。思わず口から飛び出した言葉は、自分でも驚く程震えていた。
父に、母に言われるならば流すことのできた言葉。しかし、今目の前で悲しげな顔をしている祖母から出た言葉は、深く大きく、喜助の心を抉る。

明日も行くと、約束を。

震えを抑えながらの言葉は、酷く情けなく、弱い声音ではあったが祖母の耳には届いたようで。まだ幼い孫を見つめて、祖母はお前に言うのではなかったと、隠す事の無い後悔を滲ませた。

オマモリ様へは、もう会いに行ってはいけないよ。

ただそれだけを言い残して、祖母は喜助に背を向けた。
反論の言葉は誰にも届かず、子供は一人、もう開くことのない襖を見つめてほろほろ、ほろほろと目から雫を流し続けた。
この奥に隠されるようにいるオマモリ様は、喜助が来ると喜んでくれるのだと、祖母だとて喜んでくれていたのではないか。
お前がいれば、我が家は安泰だと、手を叩いてくれたではないか。
ならば、なぜこの襖を開けてはくれない。
なぜ、あのいつも不機嫌そうな守り神にあわせてくれない。
嫌だ嫌だと、滅多に見せない駄々はしかし、誰かが聞く前に畳へと吸い込まれて言った。






もう、あの子をここへはやりませぬ。

既に時刻は闇夜。人の活動は止み、もぞりと動き出す闇に隠れるように、ぴたりと合わさった襖の中、向い会った老婆に言われた言葉に、上座に座った青年はそうかと、冷たげな顔で答えた。

それがあの子の為、お許しください。

頭を伏せ、涙ながらに青年に懇願する老婆の姿に、青年は悲しげに眉を下げた。

お前が泣くことはないのだよ。

決して、顔を上げようとしない老婆に擦りより、震える小さな肩に手をかければ老婆は涙と震えで掠れた声で、すみませぬすみませぬと祈った。

我等人のくだらぬ感傷でございます。あの子へはどうか。

青年の手に、収まるような小さな肩だ。年老いた人の、けれど昔青年が愛した少女の華奢な体。ふるりと頭を振れば、ぱさり、と異形の髪色が纏わりつく。

くだらなくなどはない…それこそが。

いまだ震える体を起こし、皺らだけの顔で泣きじゃくる老婆に青年は不器用に笑んで見せた。


「それこそが愛しくてたまらぬ」




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