7、ただあなたのために
お前のガードだ。
そう紹介されたのは、金色に光る瞳のアンドロイドだった。




ただ、あなたのために




「一護さん、一護さん」
自分を探す声を聞きながら、一護は大木の枝に腰を下ろしていた。青々と茂った木の葉はゆらゆらと、水面にいるような影を一護に、地面に写している。この場所は、先日見つけたばかりだ。自分の家だというのに、未だに新たな発見があるというのはなかなか楽しいことだ。それほど広いのだろう、と学友の一人が呆れた口調で言った言葉を思い出す。

一護の住む家は、ここら一帯で一番大きな敷地と邸宅で、ちょっとした名物にもなっている。門から玄関までの距離がキロ単位というのも可笑しな話だと、燦々と降り注ぐ陽を浴びながら一護は毒づいた。
「一護さん」
「どぅわぁ!」
にょきりと右手から現れた男の姿に驚き、堪らずバランスを崩す。ひゅ、と息を飲み込むが予想した落下はなく、何かに締め付けられるような感覚。
「大丈夫ですか」
先程よりも近くなった声に、一護は安堵の溜息と少しばかりの焦りを感じた。胸に抱きこむような格好で一護を支えている男は薄い色の髪を揺らし、一護の安否を確かめるように顔を覗きこむ。金色に光る瞳が虫の羽音のような音をたてて収縮する。小さな頃から何かある毎にその目をみてきたが、未だに一護はその瞳に見つめられることに慣れない。吸い込まれるような透明度を持つ金の瞳がこちらだけを見て、一護の身体をスキャンする事に。
「少し、体温が高いようです。脈も速い」
「お前が突然出てくっからだろっ。・・・・降りる。そこ、どけ」
肩に回された手をどけ、木を降りようとするが。突然の浮遊感の後、とん、と僅かな衝撃。こちらを見下ろしている男の顔を見とめ、かっと顔に熱が集まった。
「おまっ・・・!下ろせ!」
所謂お姫様抱っこに堪えられず駄々っこのように手足をばたつかせた。膝に回された腕が力を緩め、するりと降り易い体勢に変えられ、慌てて地に足をつけた。降り立った瞬間、振り返ると同時に足を繰り出してみたが呆気なく防がれ。
「一護さん、おやつの時間です」
「おやつってゆーな!」
そして足を下ろせ!
足首を掴まれたままで噛み付いてもまったく様にはならない。意外に強い力で掴まれた足首がじわりと痛みと熱を伝えてくる前にその手は離された。取り繕うように足首を回してみるが、今更何をこいつに取り繕うのだと馬鹿らしくなる。
「遊子さんと、夏梨さんがお待ちです」
「あーったよ。ったく・・・わざわざ呼びにくんなよ」
一護の家では、3時になるとお茶とその時々で変わるのだが、お菓子が出てくる。
子供の頃からの習慣で、家庭内ではおやつの時間と呼ばれるその間食に、この目の前の男はわざわざ自分を呼びにきたのだ。それも、昔から変わらない。男が、浦原が始めてこの家に来たときから、変わらぬ習慣。

一護の斜め後ろを歩く浦原を、ちらりと見れば、必ず視線があった。浦原は、いつも一護を見ている。輪郭すらぼやけるような遠くにいても、浦原は、ひたと一護だけを見詰めている。その視線が昔は心地よかった。いつも傍にいて、見ていてくれるのだと安心していた。

けど、その視線が重く、一護の心を締め付けるようになったのはいつからだろうか。見詰めてくる視線は、一護が子供の頃から全く変わらない。・・・変わらないのだ。これから先、一護がどんどん成長していっても、浦原は変わらない。静かに一護の傍にたち、送り迎えをして、おやつの時間を告げにきて。
浦原は、ずっと変わらない。
変わっていくのは・・変わってしまったのは一護の方。その作り物の目に何か違うものが織り込まれないかと期待する時期は過ぎ去った。綺麗な目だと、一護自身が浦原に言ったその瞳は、一護をガードの対象としか映さず。痛くないように一護を抱えるその手は、年に数度、取り替えられる。ヒトと全く変わらない外見で、体温だってる。けど、浦原は機械でしかなく。感情に近いものは組み込まれている。しかし、それはヒトを、一護を守るためだけの最低限の思考のみ。

ドアを開けようとした手の横から、大きな手が伸び、ドアを開けてくれる。この、仕草もプログラムされた事でしか、なくて。ただ、一護を守るためだけに。最近浦原といるのが辛いのは、こんな時。俺の為を、思ってのことじゃない。ただの反射のようなものなのだ、彼にとっては。浦原から逃げ去るように早足で室内に足を踏み込む。だけど。
先へ進むはずに上げた足は、同じ場所に戻され。背後から包み込むように抱きしめられて、一護は一瞬、呼吸も思考も止まった。何が、起きているのか。柔らかな浅黄色の髪が頬を擽る。長くて、一護より太い腕が肩を、腕を掴んで。背中に密着した、浦原の身体が温かくて。
「泣かないでください」
「・・・・え、」
「一護さん、泣かないでください。アナタに泣かれると・・・悲しい、です」
多分。
ぶわりと駆け上がる感情に体温に翻弄される思考が、焼ききれるかと思った。
歪む視界を堪えて、声が震えないようにするのが精一杯で。
「多分て・・なんだよ、それ・・・」
苦笑して、からかうはずに発せられた声は震え。そっと触れた手は、大きくて、温かかった。
「私は、あなたの、一護さんのためだけにいます」
きつく抱きしめられていた中で、暴れるように向きをかえ、背後にあるドアに浦原を押し付け。表情を変えない男の唇に噛み付くようにキスをして、縋るように抱きついた。手は暖かいのに、唇は泣きたくなるほど冷たくて。人間みたいだ、と子供の頃無邪気に触った頬に手を添えて。ざり、と伝わる無精ひげの感触に、リアル過ぎだと泣いた夜もあった。そんなヒトと同じ外見などしないでくれ。アンドロイドだと、忘れさせてしまうような仕草は止めてくれ。恋慕を抱いてしまうような、優しさはいらない。ただ。

舌を挿し込み、歯列を割り、舌を絡めた。ここまで精巧に作らなくてもいいじゃないか。・・・止まらなくなってしまう。は、と漏れる吐息に、背中に添えられただけだった手が、掻き抱くように回された。深くなる口付けに目を見開き、飛び込んできた金色の瞳に、驚く。奥まで見通せてしまうのではないか、と思っていた瞳が濁り、深い色を映していた。
そんな目は、見たことがない。背中を折られんばかりに抱きしめられ、痛みに顔を顰める。いつもの。いつもの浦原ならそんな事はしない。一護が痛がることは、決してしない筈なのに。
苦しいまでの口付けから解放された時、一護は情けないことに自分の足で立っていることができなかった。腰に回された手が一護を抱え、今度は壊れ物を扱うようにそっと身を寄せられた。
目の前にある男の胸板に顔を押し付け、一護は今度こそ泣いた。
これが幻でも、現実でも、なんでもよかった。例え一瞬のことだとしても。
一時の夢が見れるのなら、なんでもよかった。




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