正直、すでにこの手は刀を掴めるような状態ではない。
擦り切れ、血が滲み、さらには剣ダコが破れて、悲惨と呼べる状態だった。
それでも刀を握るのは、望みがあるから。
叶わぬと言われようと、死ぬと言われようとも、望みがあるから。
引き攣れた喉では呼吸さえも苦しいが、一護は大きく息を吐き出した。
身の丈ほどもある剣を突き刺し、身体を支えながらも相手を射抜く視線だけは衰えさせてなるものかと。
引いてはならぬ。
臆してはならぬ。
そう呼びかける内なる声に重なって、逃げるんですかと軽薄な声。
全く、厄介な相手を師と仰いだ。本人に教える気などさらさらない。ただ、一護に見せるだけ。
『アタシは人様に何かを教示するなんてこたぁ出来ません』
『ただ、キミに見せるだけだ』
剣の捌きを命の遣り取りをココロを。
『キミはそこから勝手に何かを学んでくれりゃあいい』
そう言って、唐突に切りかかってきた男の気迫に一撃で吹き飛ばされ意識を飛ばした。
「ありゃ、気絶しちゃいましたか」
テッサイに介抱されている少年のもとまでふらりかつりと緩やかに近寄ってきた下駄の音。たった、一撃。しかし遠慮なくぶち込んだ霊力に当てられた、ということは霊力探査の精度が上がっているということ。くっと笑みが浮かぶ。一度こちら側の力をみせれば、少年は無意識のうちに吸収した。恐ろしい子供だ。けれど。
「だからこそ、賭ける価値はある」
世界を揺るがす力となるか、それとも唯の異端と終るか。
それは気を失った少年の知らぬところで賭けられた、男の真意。真実を知った少年は怒り狂うだろう。あんたの”せいで”と。人とも、死神ともいえないこの身を貫く炎のような激情を、大人しく受け止める覚悟は当にできている。いや、覚悟するほどのことでもない。それは存在してはならないものをこの世に現した時からすでにある。ぐたりと力無く横たわる少年の顔は苦痛とも、悔しさとも見れる眉間の皺。
はやく、起き上がればいい。
そうすれば、また己はこの刀をキミに向ける。殺す気で薙ぐ。キミは命がけで防げばいい。それだけで、生きていられる可能性が格段に上がる。
だから、さあ、起き上がれ。この刀がキミを貫く前に。
「…何してんだっ、よ!」
痙攣したように跳ね起きた少年はその手にある巨大な刀を振りかざし、自分の命を奪う切っ先を防ぐ。
「ああ、よかった。起きてくれましたか」
このまま殺しちゃうんじゃないかと、ひやひやしました。がつん。甲高い音を鳴らして離れた刀。それよりも鋭い視線を向けるまだまだ幼い魂。
「殺すな!」
「だって、そうしないとキミ、強くならないじゃないっすか」
っていうか、その位じゃないとキミ、アタシを斬ろうともしない。答えに詰まった少年の、その優しさとも言える弱さは、嫌いではない。が。それはこの場には、今は全く必要のない、無駄な感情。その優しさは、違うところで使いなさい。こんな得体の知れない男にでなく、もっとそれに相応しい相手に。
「死にに行きたいの?助けに行きたいの?」
「…っ!」
わざと緩やかに下ろした斬戟を避けて、隙を狙ったのか横から黒い刃。その、素直な心もいらない。嫌いじゃあ、ないんですけどねえ。ひらりとかわして懐へ。刀の鍔で勢いよく喉元をついた。呼吸を失った少年の瞳が黒く濁るのを眺めて、崩れ落ちる身体を受け止めた。
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