4浴室
水滴の落ちる音が、白い湯気の充満する浴室に響く。




檜の香りのする、自分の家に比べて大きな風呂に一護は浸かっていた。一護からしてみれば、ただの扱きなんじゃないかという程一方的な修行によって、成長途中の未発達な体はボロボロだった。温かいお湯に体中の力が抜けていく。酷使しすぎた体は自分の思うとおりに動いてくれず、ずるずると湯船に肩まで浸かってしまった。このままでは顔まで湯に浸かってしまう。なんとかして、重い腕を持ち上げ風呂の縁を掴む。湯船から体を起き上がらせようとするのさえ一苦労で、あああ、と力の篭った声を思わず上げてしまう。こうなるまで体を酷使したのは初めてだ。痛いし、辛いのもあるが、こんなになるまで修行したんだと、慰めにも繋がる。

「あ――・・・・、気持いい・・・」

こんなにもお風呂がありがたいものだとは思わなかった。

このまま寝たら、すげえ幸せかも・・・、なんて思いながらうとうととしていたら、随分と長風呂になってしまった。流石にそろそろ出ないとやばいなと、重い体を引きずるように湯船から引き上げる。ふらつく体に、ちょっと長く入りすぎたな、とぼんやりと思う。脱衣所になんとたどり着き、タオルを手に取ろうと腕を伸ばした瞬間、ぐらりと体が傾いだと頭が理解する前に目の前が真っ暗になった。












久しぶりに、己の斬魄刀を始解させた為か、ざわめく霊力が中々収まらない。己の霊力をコントロールできないなんて、アタシも年ですかねえ、と感慨深く思う。既に前線を離れて三桁近くの年月が過ぎていては、腕が鈍るのは当たり前かと、苦い笑みが浮かぶ。昔に思いを馳せる趣味は持たないが、これしきの事でざわめく己の霊力を感じると、どうにも衰えたものだと過去と比較してしまう。あの、焼け付くような巨大な霊力を持つ子供の修行に付き合うには、もう少しばかり義骸の霊力活動の幅を広げなければならない。義骸をシフトチェンジさせる為にやらなければならない事を考えつつ、浦原は身の内で暴れる霊力の抑制にかかった。






居間でテッサイに、地下の勉強部屋に出来た亀裂を修理するよう言い付けて、部屋に戻ろうと歩いていたら、何かが倒れる様な大きな音が耳に入った。風呂場へ繋がる脱衣所の扉の向こうから聞こえた音に、はて、と浦原は首を掲げた。扉の向こうから伝わってくるのは、あのオレンジ頭の子供の霊力。一体人様宅の風呂場で何を暴れているのだろうと、暫くの間脱衣所の前で聞き耳を立ててみるが、全く物音がしない。流石におかしいと思い、男同士だが、一応礼儀と思い、扉を叩く。

「黒崎さん?どうしました?」

扉の向こうから帰ってくるのは少年の応答でなく、静寂。
とことんまで痛めつけた子供が、まさか倒れたのかと思い、開けますよ、と一声かけてから扉に手をかけた。一気に開け放つと、白い湯気が視界を覆った。脱衣所が見えなくなる程ではない湯気の向こうで、オレンジ頭の子供は壁によりかかるように座り込んでいた。その姿から、目が離せなくなる。

「・・・・・?下駄・・・ぼーし?」

火照った顔で、虚ろな瞳でこちらを見上げてくる少年は、足の先に僅かにかかるタオル以外は、何も身を隠すモノはつけておらず。裸身を惜しげもなく晒すその光景に、さしもの浦原も驚愕で口が閉じなかった。オレンジの髪から垂れた雫が体を滑る様に、ごくりと、喉が鳴る。





常の浦原ならば、上せた一護をからかいながらテッサイを呼ぶなり、涼風を送ってやるなりの処置を施したであろう。しかし、今の浦原はいつもの浦原とは違った。久方ぶりに『紅姫』を振るい、最小限に留めていた霊力を起こし、叩きつけるように子供にぶつけていたのだ。自らの身に潜む霊力を開放した事で、どうにも義骸の身ではコントロールが上手くいかず。
体の中に未だ燻り続ける霊力が、じわりと浦原の熱を上げていた。
子供が最後に放った、あの強大な霊質に当てられたのかもしれない。肉を断つ感触を味わったからかもしれない。他人事のように己の現在の態を分析する冷静な部分を僅かに残しながら、浦原は勝手に動く体を止めはしなかった。

















ふらりと、貧血にも似た眩暈を感じた瞬間、やばいなと思った。
倒れる、という言葉が頭に浮かんだと思った時には、一護の体は既に壁に寄りかかるように座り込んでいた。手に取ろうと思っていたタオルが、足元に落ちているのが視界に入るが、一護は動こうとはしなかった。正確には動けなかったのだ。ふらふらする思考に、頭が強く殴られ時の様にぐわんぐわんと気持悪さを反響する。流石に、ただ上せただけではこうはならない。限界に達するほど体を酷使し、霊力も今までとは比べ物にならない位の量を消費した。
(もっと、早くに上がればよかった・・・)今更考えても仕方がない。
せめて、この眩暈が収まるまでは、とそのままの体勢でぼんやりとしていると、視界を見慣れた黒い羽織が掠めた。のろのろと、いつもより時間をかけて顔を上げると、そこには室内でも帽子を外そうとしない男が突っ立っていた。名前は

「下駄、ぼーし・・?」

違う、確か浦原・・。ああ、下の名前が思い出せない。なんで浦原がこんな所にいるのかなんて思考も働かない一護に、男が近寄ってきた。ふわりと、黒い羽織の裾が空気を含んではためく動きを追って、一護の視線が男から外れた。








伏せられた睫が以外に長いのだと、浦原は知る。頬に手が添えられ、その冷たさに一護は気持良さそうに目を閉じた。頬を摺り寄せてくる一護に、昼間の面影はどこにもない。気を張っていない子供。暫くそのままの状態で、自分の手を好きなようにさせてい浦原だが、一護が一糸纏わぬ姿なのを思い出し、足元にあるタオルを肩にかけてやる。火照った体が冷めてきたのか、少年は身震いをして、小さくクシャミをした。

「寒い?」

大きなバスタオルで体を覆ってやり、その上から抱きしめる。
ふるふると、頭を振る少年はまだ思考が上手く働いていないのだろう、
子供に抱く情に頬を緩ませ、抱き上げるように火照った体を持ち上げた。
予想以上に軽い体は、引き寄せられるままに浦原に倒れこむ。

「黒崎さん・・・、わかる?部屋まで運びますよ?」

「ん・・・・」

返事なのかと浦原が聞き返す前に、一護は意識を手放していた。軽い寝息が聞こえてきて、浦原は笑いか溜息がわからぬ息を吐いた。

「今日はたくさん運動しましたからねえ。・・・お疲れさまです。」



聞こえていないとわかっている。だからこその労わりだ。少年が覚醒している時に優しくつもりはない。



周囲を優しさで囲まれた少年が成長するには、過酷が必要だ。痛みを、恐れを、悲しみを。自分が与えうる全ての事を。
死なせるわけにはいかない。生かす方法を。相手を切る方法を。そして、自分の元へ戻ってこさせる。手放す気は毛頭ない。こんな美しい魂。目を潰さんばかりの輝かしさを持つ少年。




少年が寝泊りしている部屋に辿り付き、両手が塞がっているので片足で襖を開ける。妹が厳しいと言っていた少年は、綺麗に部屋を使っていた。自身の持ってきたスポーツバックを部屋の隅に置き、借りた布団はきちんと畳み。そういえば、風呂場にあっ少年の服は綺麗に畳まれていた。見た目と違う面ばかりを見せる少年だ。

畳まれたままでは布団に寝かす事はできないので、一度起こそうと少年を畳の上へ座らせた。既に夢の世界の住人となっている少年はこっくりこっくりと頭を揺らし、直ぐにでも後ろに倒れこみそうな様子だ。声をかけるが、少年が起きる気配はない。仕方ないなあ、と夢へと旅立っている少年を床に寝かして、布団を敷いてやる。ここまで世話を焼く自分自身に驚く。風呂場で、気だるげ見上げる一護を放って置く事ができなかったのだ。髪の毛が濡れていると印象が大分変わる少年を、自分は相当気に入っているらしかった。一護に浴衣を着せ、布団に寝すまでの間にも、少年は起きる気配も見せず穏やかな寝顔を晒している。


寝ている時は年相応に見える少年の髪に手を伸ばす。昼間は好き勝手に飛び跳ねている髪は、しっとりと濡れて、浦原の指に絡んでくる。薄く開かれた唇から漏れる呼気に誘われるように顔を近づけて、少年の唇に触れる直前に自分が何をしようとしているのか気がつき体を起した。寝ている相手に何をしているんだか。苦笑が漏れる。少年の唇に、指で触れ、名残惜しそうになぞる。立ち上がり、少年に背を向け部屋を立ち去る。その行為さえも、自分の後ろに眠っている存在に惹かれて、ひどくやりづらかった。先程少年の唇に触れた指で、己の唇に触れ、馬鹿らしい事をしているなと思う。

これじゃあまるで。

「恋する乙女、だ・・」





何百年も生きている自分が、僅か十数年しか生きていない子供相手に。



何を馬鹿なことをと思う。この自分が、恋などと。












しかし、思考とは逆に、指はいつまでも唇をなぞっていた。







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