ハッピーサンセット 04
土曜の朝。突然襲撃をかけてきた夜一に風呂に押し込まれ、わけもわからぬままにシャワーを浴びて浴室を出てみれば何故かそこには松本と市丸の姿があった。
浦原の借りている部屋は狭くはないが、かといって広くもない。物が多いので、さらにスペースは狭くなる。そんな中に女二人、男二人がいると途端に窮屈な部屋に様変わりだ。とりあえず、松本と市丸におはようございますと挨拶を交わすが、状況が全く把握できない。何か食べようかと台所に向かおうとした浦原を引き止めたのは松本で、有無を言わさずパソコンデスク前にあった椅子に座らされた。
「あのー…」
「なんですかー?」
「これは一体…」
何なのでしょうか、と云おうとしたところで、ぶおお、とドライヤーの音でつい口を噤んでしまった。え、と後ろを振り返ろうにも、松本に「動かないで!」と言われたせいで身動きひとつ取れない。松本の細長い指が髪を梳き、ドライヤーの熱が髪の毛を乾かしていくのを、ただなされるがままに受け止めることしか浦原にはできなかった。ある程度髪の毛が乾いたと思ったところでドライヤーの音が止まり、早速これは何だと聞くために振り返って、にい、と笑う市丸と目が会った。
先日の一件で時折夜一、松本、市丸と呑むことが増えたため、市丸とは以前に比べればよく喋るような仲にはなった。大きな口が笑みの形を取っている表情に背筋を冷たい汗が伝う。怖気づいて椅子の背凭れに縋りつくような格好だった浦原を、松本はさっさと立ってくださいと追い払うように急かす。未だこうして三人が自分の部屋にいる意味を把握していない浦原は、助けを求めて市丸を見るが、あの笑みを見ているとどうしても足が後ろに下がってしまう。
「取り合えず、夜一姉さんに言われたモンは一通り持ってきたけど…どぉします?」
「そうじゃの…あまり地味な色も頂けんが…こやつの髪の色を考慮するとのぅ」
「確かに。だったらこんなもんで…」
部屋の主である浦原を無視して進む話に、どうやら自分の服装やら髪型やらについてなのだとうっすらと理解してきた。が、どうしてこの三人がそんな事をするのかさっぱり検討がつかない。しかも松本も市丸も土曜は普通に仕事ではなかっただろうか。浦原にいくつか服を合わせて見ている市丸と、髪型についてあれこれと言っている松本にあの、と声を掛けた。
「お二人とも…今日仕事じゃ…」
これ着てください、と渡された服に腕を通しながら尋ねてみると、二人とも顔を見合わせて、なんだそんなこと、と言わんばかりの顔で答えた。
「ああ、これ終ったら行きますからだいじょーぶですよ」
「ボクは今日お休みもろてますから、気にせんといてください」
じゃあ、次はこれを、と差し出されたズボンを手に、浦原はなんでアタシが着替えさせられてるのに蚊帳の外なのだろうと少しばかり寂しく思った。

かんせー。と松本に云われ、これでやっと終わりかと、ほっと息をつく。結局説明も無しに数十分。市丸と松本に服や髪をいじられて(松本は化粧もしたいと云っていたが、それは断固拒否した)ぐったりとしている所にブブブ、と端に飛ばされていた携帯が震えた。
黒崎サンかなと、携帯を取ろうと手を伸ばすが、寸前に横合いから伸びてきた手に取られてしまった。
あ、と。携帯を手にした夜一を見上げる。返してくださいと手を伸ばすが、ひょい、とその手を避けられてしまった。
「では、喜助。後はお主の検討にかかっておる」
「は?」
「髪の毛が崩れてきたら、鏡見て直してくださいね!いつもみたいにぐしゃぐしゃのままにしないで!」
「え?」
詰め寄ってくる女性二人の迫力に押される。一体なんでこの人たちはこんなに興奮してるんだろうと不思議に思い、浦原は首を傾げた。
なんだか気合を入れて浦原の服を選んでくれたり髪をセットしてくれたはいいが、その理由がわからない。助けを求めるように、その場を傍観している市丸に視線を移すが、にぃ、と大きな口で笑うだけで教えてくれそうに無い。
わけがわからずとも、時計の針は進んでいく。いい加減携帯を返してくれと手を差し出せば、案外あっさりと夜一は携帯を浦原の手に返した。さっきは横取りした癖に、素直に返してくれる様に訝しく思いながらも、届いたメールを開く。
内容は待ち合わせ時間に少し遅れるというもの。わかりました、と簡単な返事を打ち、返信をしてから顔を上げればにやにやといやらしい笑みでこちらを見下ろしている夜一の姿が。この顔は知っている。からかうネタを見つけた苛めっ子の顔、だ。
「お主の格好を見て、『黒埼さん』はどう反応するかのう」
「あ!み、見ましたね!」
かっと頬が熱くなる。さっき携帯を取られた時に見られたのかと思い、羞恥心に襲われながらも夜一を睨みつけるが、夜一はひらひらと力無く手を振り「見ておらんわ」と浦原の言葉を否定した。
「お主の携帯にメールを送ってくる人間など、数が限られておるじゃろう。儂に、『黒埼さん』じゃ」
ぐ、と言葉に詰る。確かに、その通りだ。その通りなのだが、なんだか凄く悔しい。
ほれほ、早く行け!と自分の部屋を追い出されながら、浦原は夜一を精一杯の気持ちを込めて睨み続けた。
市丸と松本はどうやら浦原の事情を知っているのか、夜一と同じにやにやとした笑いを浮かべて行ってらっしゃいと手を振ってきた。夜一以外の人間に、黒埼とのことを知られたのだと気づき、今更ながら恥ずかしさが込上げてくる。きっと、夜一のあの様子では浦原が黒埼に好意を抱いていることも喋ってしまったに違いない。今度からどんな顔をしてあの二人と顔をあわせればいいのか。それを思うと、これから黒埼と会うというのに、浦原の口から出てくるのは重い溜息だ。
しかし、いきなり外に放り出され、わかりましたよ!と勢い勇んで歩き出したはいいが、正直自分の格好が酷く落ち着かない。つい先日変え買えたばかりの眼鏡は一日着けていれば直に慣れはしたが、普段はセットなんてしたことの無い髪が妙にふわふわしている気がする。服装だって、全然違う。妙に窮屈なのだ。店から持ってきた、と市丸が云っていたから、恐らく新品なのだろう。少しばかりごわごわと違和感を伝えてくるズボンも、歩く度に小さな音を立てる靴も汚れ一つない、綺麗なものだ。
店のものを持ってきて、あまつさえ浦原に着せていいのだろうかと思ったが、オーナーである夜一が率先して服を浦原に着せていたのだから、まあ、許されることなのだろう。
ほんとに横暴だ、あの人は。
ぶちぶちと心の中で文句を言いつつ、少し歩くスピードを上げる。黒埼との待ち合わせまでは、まだ余裕がある。別に急ぐ事もないのだが、どうにも人の目が気になって仕方ない。
着慣れない服は、多分、いやきっと恐らく市丸の働く店の商品だろう。黒埼が好きだと云っていたブランドを、浦原なんかが着ているのだ。何アレ、と囁かれた言葉を思い出してしまい、浦原はつい早足になる。
そのせいか、目的地にはすぐ着いた。うっすらと汗を掻いている自分に何をしているんだと内心で突っ込み、近くの壁に背を預けた。
住んでいる場所が近い浦原と黒埼が良く待ち合わせ場所として利用するのは、移動にも便利な駅前だ。駅前の広場にあるベンチが空いていればそこに座って待っていることもあるし、今日のように壁に背をあずけて、呆と待っている事もある。
温かい陽射しに、つい欠伸が出る。時計を見れば、予定していた待ち合わせ時間まであと数分。しかし、黒埼は遅れると云っていたので、会えるのはもう少し先になってからだろう。
そう考えて、はあ、と無意識に漏れていた溜息に緊張の色を見て取って、浦原は頭を下げた。
黒埼に会えるのは、嬉しい。こうやって待ち合わせをしているのも、楽しい。
だけど、今の浦原を見て黒埼がどう思うかを想像すると酷く気が滅入る。いきなり、こんな格好に気をつかってきた浦原を、黒埼はどう思うだろう。
似合ってないと、笑われるかもしれない。いや、黒埼はそんな事を面と向かっていう性格ではないから、心ではそう思っていても口にはしないだろう。だけど。だけど、あの茶色の、真っ直ぐと浦原を見てくれる目が、呆れたような、そんな色を浮かべたら。
容易にへこむ自分を想像して、浦原は既にへこたれそうだった。
ずるずる、とそのまま壁に背を預けたまましゃがみ込む。しゃがんだ後で、これじゃあ服が汚れるなと思ったが、それを気にしている余裕が今の浦原には無い。もし、夜一や市丸に怒られたら謝ろうと、違う事を考えるようにしてみたが、やはり最後に行き着くのが「黒埼サンに嫌われたらどうしよう」だった。
はあ、と何度目になるか分らないため息を吐き出し、顔を膝に埋めた所で頭上から「あの」と声を掛けられた。
それが予想していた少年の声でなく、柔らかな女性の声だったせいで、浦原は最初、声を掛けられているのが自分ではないと思った。顔を伏せたままにしていると、もう一度、今度は先程よりもしっかりとした声で「あの」と声を掛けられたのがわかった。
アタシ?
訝しく思いながら顔を上げれば、そこには長い髪を緩く巻いている女性が、少し眉を下げた表情でこちらを見ていた。
「大丈夫ですか?」
「え…?」
「あの、どこか具合でも…」
そこまで云われて、やっと女性が心配そうな顔で自分を見ていたのだと気がついた。浦原を「体調の悪い人」と勘違いしているらしい。
慌てて首を振り、否定する。
「いえ、あの、だ、大丈夫ですから…!」
「でも、顔色も悪いみたいだし…」
急いで立ち上がり、手を女性の前で振るが、どうやら日に焼けていない浦原の白い顔を具合が悪いせいだと思っているようだ。立ち上がった浦原は、小柄な女性を見下ろし、大丈夫ですから、とぎこちない笑みを浮かべた。あまりそうした心配をされたことの無い浦原にとって、女性の言葉はじんわりと胸に染みとおる物があったが、誤解されたまま女性に心配をかけさせるわけにはいかない。
「大丈夫ですから…すみません。…ありがとう、ございます」
そう言えば、女性はまだ少し心配の色を顔に残してはいたが「それならいいんですけど」と、それ以上尋ねてくることはなかった。女性の後姿を見詰めながら、そういえば見知らぬ女の人に声をかけられたのは初めてだと気がついた。
人に心配を掛けてもらった事に、少しばかり背中がむず痒い。
その奇妙な感覚を持て余していたら、少し離れた場所にオレンジ色を見つけた。黒埼サン、と小さく呟くと途端に嬉しさが湧いてくる。
黒埼はまだこちらに気づいていないのか、きょろきょろと視線を巡らせている。分り易いように手を振って、今度は少し大きな声で黒埼サン、と呼べば、待ち人の視線がこちらを向くのがわかった。
そして、次いで浮かべられた表情に浦原は体を固めた。
茶色の瞳が、浦原を訝しそうに見ている。そこで、やっと自分の格好を思い出し、浦原は上げていた手をすとん、と力無く垂らした。やはり、自分の格好は不自然だったのだ。それ以上黒埼の顔を見ていられなくて、ふいと視線を逸らした。
「浦原、さん?」
訝しげな黒埼の声に、反射のように「はい」と返事を返していた自分に内心驚く。もう、何度も彼に名前を呼ばれ、それに自分が答えていたのだと今更ながらに気づかされた。
「うわ、浦原さん?!どしたんだよ、その格好!」
驚いたような言葉に、今度は返事が返せなかった。たた、と黒埼が駆け寄ってくる間、浦原はただ顔を俯け、唇を噛み締めていた。こうしていないと泣いてしまいそうな自分が、酷く情けないと思った。
黒埼は浦原の前に来ると、一度全身を見るように視線をめぐらせた後、最後に浦原の顔を見て、きょとり、と珍しく幼い顔で浦原を見上げてくる。どこか不思議がっているその表情に、恥ずかしくなって視線を逸らせようとした時。ふ、と黒埼が小さく笑った。その表情に、目を見開く。何か眩しいものを見るようなそんな顔を、浦原は今まで見た事がなかったから。
「似合ってんじゃん」
「…え?」
「どしたんだよー突然。最初誰かと思った」
「あ、あの。よ、夜一サンに…」
見慣れぬ黒埼の顔に、頭に血が上る。思わず聞かれるがままに喋ってしまえば、黒埼はさらに楽しそうな顔で浦原を見詰めてきた。かああ、と全身が熱くなった。
「ああ、あの凄いっていう、幼馴染の人だろ?ほんとにされるがままなんだな」
「い、いやだって云ったんスよ!それなのにあの人無理矢理…」
「嘘つけ。本気で厭だったら夜一さん、だっけ?…だってやめるだろ。浦原さんが許しちゃってるんだから、しょうがねえよ」
諦めろ。
そう、楽しそうに笑った黒崎を、浦原は本当に好きだと思った。
自分の気分を下降させるのも黒埼だけど、上昇させてくれるのも黒埼なのだ。心の奥深く、感情の根元まで届く黒埼の言葉に、浦原はずっと救われている。
「つーか、もしかして全部『仮面』じゃね?」
すげえ、と喜ぶ幼い顔が可愛いと思う。そのあと、拗ねたように唇を尖らせるのは、そんな風にはしゃいだのは少し恥ずかしいから。
「その、夜一さんって一体何者なんだ?結構いい値段する服一式揃えるってのがすげぇ」
羨ましそうに浦原のジャケットに手を伸ばしてくる、その指先が細いのだと知ったのはついこの間。飲み物を渡された時に、その手の細さにどきりとした。
「うん、でも似合ってると思うぜ?見慣れてねーから、ちょっと変な感じっすっけど」
「…変、ですか?」
「いや、格好いいぜ?」
『カッコいいです』と言ってくれた時の、興奮で染まった頬に触りたいと思った。
好きで。
好きで好きで、凄く好きで。
「じゃ、どうする?このまんま映画観に」
「黒埼サン」
「?何?」
歩き出そうとした黒埼の、細い首を見詰めながら呼び止める。振り返ったその表情に、思わず漏れていた。
「どうしよう、凄く好きです…」
途方にくれたような声に、黒埼でなく浦原がまず驚いた。慌てて口を塞いでも、もう遅い。驚きに瞠られた目に、ポカンと口をあけた表情さえも好きだと思った自分に、浦原は涙さえ出そうだと思った。


けったいなお人やなぁ。
それがギンの、浦原の第一印象だった。
初めてあったのは、二年程前か。ある日突然乱菊に誘われ、連れて行かれた先に自分の上司である夜一と、その横に所在なさげに立っている冴えない男がいた。乱菊が夜一と仲がいいことは知っていた。とある共通の趣味を持っていることも知っていたが、今日何故、自分がこの場所に連れてこられたのかは、ギンは知らされずにいた。
電車を幾つか乗りついでいる間も何度か
「何処に行くん?」
「何して遊ぶん?」
と乱菊に聞いたが、にこりとギンの大好きな艶やかな笑顔で「いいところよ」とはぐらかされていた。いいところ、という乱菊の言い方に少し期待を抱くが、ふふ、と何を含んだ笑いを見てそんな意味じゃないんだろうな、とは気づいた。
ギンと乱菊の付き合いは長い。なんと云ったって歳が一桁の頃からの付き合いだ。
ギンが越してきた先の小学校ではじめて乱菊と出会った。その時は綺麗な子やな、と遠巻きで見るくらいで、友人になった大抵の男子が彼女に好意を寄せているのを何となく話しに聞く程度だった。
確かに、彼女は幼くても綺麗だった。ギンだって、こちらを見られれば少しはどきりとしたし、仲良くできたらいいな、と思うこともあった。
彼女はその容姿のせいで同性のクラスメイトの何人かには疎遠にされていた。けれど見た目とは反して大変勇ましい性格をしていた彼女はその事を気にはしなかったようだ。格好いい女の子だなと思っていたある日、ギンは教室で一人泣く彼女の姿を見てしまった。
多分、理由は彼女が世話をしていた兎が死んでしまったことだったと、思う。椅子に座って、ぼんやりと視線を黒板に向けて泣いている乱菊の姿がずっとギンの脳裏に焼きついている。
今思い出しても相当恥ずかしいのだが、泣いている乱菊にハンカチを差し出して「泣かんといて」と云った。そして、涙で少し赤くなっている目元を見て「ボク、君が笑ってる顔が好きや」と思わず云ってしまったのだ。
それを思い出す度にギンは恥ずかしくて仕方がなくなるのだが、その事を話す乱菊の嬉しそうな顔が好きなので、昔の自分ようやった、と褒めたくなる気持ちもある。それが切っ掛けで仲良くなった乱菊とは、お互い働く歳になってもこうして共にいる事が多い。
ちらり、と横に並び乱菊の顔を盗み見る。
美しくなった乱菊の横顔を眺めながら、彼女が手にしているカートに視線を移す。まるで旅行に行くような格好で現れた乱菊に、ギンはまず、これからどこかに行くのかと聞いた。旅行に行く話は聞いていなかったし、思わず不審そうな目付きになっていたのだろう。しょうがないわねぇ、と苦笑を浮かべた乱菊は、ギンの髪を白い指先で撫でた。
宥められ方が学生の頃から変わっていない事実に少しいじけそうだ。
「これから、いいところに連れてってあげるわ」
そうして連れてこられて、こうして電車に揺られている。
どこに向かうのだろうなぁ、と何度目かの疑問を抱いたところでアナウンスで駅の名前が流れた。
「ここで降りるわよ」
あまり聞きなれない駅名だったが、どうやら乱菊の目的地はここらしい。こんなところに何かあったかなと記憶を辿ってみるが、思いつくことは無い。からからとカートを引く乱菊に、持つわ、と声を掛けてカートを受け取る。ありがとうと微笑んだ乱菊の顔が笑いを堪えているようにも見えて、ギンはん?と思ったが楽しそうにしているし、いいかと気にしない事にした。
そして、どうしてあの時詳しく聞かなかったのかと、ギンは後悔した。
「男子更衣室はあっちだから、浦原さんに連れてってもらってね」
「いや、もう少しすれば藍染も来る。あやつに連れていってもらったほうがよかろう」
乱菊と同じカートを持った人が多く集まっている会館で、ギンは呆けたままそんな女性二人の会話を聞いていた。夜一の後ろにいる浦原という男が居心地悪そうなのを見て、ふとギンは声を掛けてみた。
返ってきたのは「ああ」とも「うう」とも判別つかない返事。この人も自分と同じく説明されずに連れてこられた人かと思っていたが、夜一に大きな袋を渡された時、観念したように受け取っていた様に、あれ、もしかして何もしらんのボクだけ、と気がついた。
「ら、らん、らん。これ、何?」
「え、衣装よ?」
「衣装…?何の?」
心底わからない、という顔をしたギンに、乱菊は酷く楽しそうに囁いた。
「死覇装」


見てみて、と乱菊に見せられた写真にギンは苦い顔を浮かべた。
「懐かしいわねぇ…ギンの初コス!」
「その時だけにしてほしかったわ…」
その後、一度したのだから二度も三度も同じでしょうとつき合わされ、乱菊と共にコスプレイベントに連れていかれるようになってしまった。厭や、と断ろうにも、乱菊のする格好はいつも胸元を露出させたり、足を露出させたりするものが多く、少しばかり下世話な理由があってギンは断れずにいる。
でも。ギンは思うのだ。
時折夜一とギンのわからない話して盛り上がっていたり、くふくふと薄い本を読んで笑っていたり、デートよりもイベント優先されたり(最近は一緒に行く事が多いけど)している乱菊は、とても楽しそうで。
ほらみて、ギン。と懐かしそうに、楽しそうにギンに写真を見せてくる乱菊のそんな笑顔が見れるのならそれくらい幾らでも付き合えると。






大きなスクリーンで、女が男に言う。
『貴方が私を愛しいと言うのなら、その証拠を見せてちょうだい』
ぼんやりと、眉を怒らせている女優の顔を見ながら、証拠って何をみせればいいんだろうと思った。
ストーリーよりも映像やアクションで有名な映画を黒埼は観たいと云った。浦原も、観ていて爽快な気分なるようなものは好きだったので、アタシも観たかったんです、と了承の返事を返したのは、ついこの間の事で。
楽しみにしていた映画ではあったが、正直内容はさっぱり頭の中に入ってこない。
ただ、失敗ばかりをする男に、恋人である女が言い放った言葉が酷く気になった。
好き、だと云ったら証拠を見せないといけないのだろうか。
ちら、と横に座る黒崎を見る。
暗い映画館の中、スクリーンの光に浮かぶ黒埼の横顔はあまりよく見えない。面白いと感じてはいるのか、画面から目が逸らされる事がない様子に、浦原は安心してその横顔を見る事ができた。

どうしよう、凄く好きです。
先ほど、自分が黒埼に向かって云ってしまった言葉を思い出す。
なんでそんな事を云っちゃったんだろう、と後悔してももう遅い。出てしまった言葉は回収不可能で、その言葉を聞いてしまった黒埼は驚いた顔で、顔を赤く染めた浦原を見ていた。なんとか誤魔化そうと思うのだが、上手い言葉が出てこない。あわあわと慌てふためく浦原を、一護はじ、っと見ている。
思わず、すみません今の忘れてください、と云いそうになった。冗談です、と云えれば。
だけど、口を開けば好きですと云ってしまいそうな自分が怖くて、結局は口を紡ぐことしか浦原にはできなくて。
これ以上黒埼の顔を見ていられないと、顔を伏せた。どくどくと心臓の音が煩くて、周りの雑踏の音が何も入ってこない。
真っ白になった頭でどうしようどうしようとぐるぐる考えていると、映画、と黒埼が呟いた。
「映画、そろそろ時間じゃね?」
思わず、顔を上げる。黒埼は手にした携帯で時計を確認していた。慌てて浦原も確認すれば、予定していた時間まではあと少し。
「あ、え…そ、そうですね」
「行こーぜ」
歩き出した黒埼の後姿をぼんやりと見詰めていると、歩き出そうとしない浦原を不審に思ったのか黒埼が振り返った。どくり、と血が昇る。喉が渇いてしかたない。周りの声が聞こえてこないのはそのままで、黒埼の言葉だけが耳に届いてくる。
「浦原さん?」
しかし、黒埼はそんな浦原に気づくことのない様子で早く行こうぜと浦原を急かす。再び歩き出した黒埼を見て、一気に肩の力が抜けていった。
多分、黒埼はさっきの言葉を聞かなかったものとしたのだろう。浦原に気を使ってくれたのだ。
正直、そうしてくれたほうが浦原もありがたいとは思ったが、残念だと思う気持ちもある。だけど、否定の言葉を聞くよりは全然いい。
また、いつもと変わらない距離でいられるのだと思えばいいと、自分に納得させて、浦原は黒埼の後を追ったのだ。
そして、こうして並んで映画をみている。
映画を観なくてはと思うのに、つい視線は、意識は黒崎の方へと向いてしまう。青白い光を浴びて浮かび上がる黒埼の横顔をみては、小さく詰めていた息を吐き出す。ざわつく感情に、どう対処すればいいのかさっぱりわからない。大人しく椅子に座っているのさえもどかしく感じるなんて、なんだか自分か可笑しくなってしまったようだ。
映画を観終わったら、きっとどこかご飯の食べれる店に入って、映画について話す筈だと、わかっているのに。画面に向けた目を、どれだけ凝らしても内容が頭に入ってこない。
少し気合を入れようと、姿勢を正すために肘掛に手を置いて、座り位置を直す。これじゃあ黒埼と会話もでいなくなってしまう。困ったなぁ、と背凭れに深くもたれかかったところで、浦原はびくりと体を震わせた。
肘掛の、手の上。
手の甲に感じる温もりに、まさかと視線を向ければ、自分の手に重ねられた細い指が視界に飛び込んできた。陽の光の下では、健康的に焼けた色をしている手が、スクリーンの白い光で浦原と同じ色になっている。
ひくり、思わず手が震えたのが伝わったのか、ぎゅ、と上から手を握られた。頭に昇った血が思考を焼け尽くす。破裂しそうな心臓の音を聞きながら、なんとか黒埼へと視線を向けるとスクリーンではなく、足元を睨みつけるように顔を伏せていた。顔の色は、スクリーンの色が映って青白いままだったけれど、その頬が赤くなっていればいいと思った。
自分と同じ色に染まっていればいいと、思った。
ぐい、と視線をスクリーンに向ければ、女は男に愛しているわと云っていた。証拠はどうしたと思ったが、それよりも左手に重ねられた温もりの方が大事だった。
そっと、掌を返す。
 どうしよう
汗でべたついているかもしれないと心配したのは一瞬で、ぎゅっと握ってきた手を思わず握り返していた。
 凄くすごく
 好きだ













戻る