「はい、オシマイ」
伏せられ瞳が、睫を震わせて開かれる。現れた瞳は綺麗な鼈甲色。人形の目覚めを見られるとは。
他人の作ではあるが、自分が手を加えたものが動く様を見るのは、研究でも人形でも快感であった。
この館を見つけたテッサイに感謝したかった。こうして灯の光の下にあると先程とは違った印象を抱く。月明かりに照らされた人形は儚く、浦原が夢かと思うほど幻想的だった。しかし、今はどちらかというと、陽の光が似合う、普通の少年のようにも見える。
「何か、喋ってみてもらえます?」
喉元に手を当て様子を見ている人形が、ゆっくりと口を開いた。
「俺の名前はイチゴじゃない。一護だ」
予想に反して、耳に飛び込んできたのは乱暴にも聞こえる言葉。もっとこう、大人しい喋りをすると思っていた。驚きで開かれた目の前には異常はないか、チェックするように声を発する人形。自分の仕事には(趣味ともいう)自信のある浦原だ。そんな風に疑われたことにむっと顔をしかめた。お礼のひとつもないのかと言ってやろうかと口を開くが。
「すげぇな、あんた。」
完璧だ、と言われて機嫌を良くした自分に呆れる。しかし、どうにも人形の口調に違和感を拭えない。声だけ聞いていたらそれ程気にはしなかっただろうが、それを無表情で言われると。喋る人形を目の前にして、どうにも気分が高揚しない。人形、というよりもただの少年と話をしているようで。これも、浮竹のこだわりなのかもしれない。
造られた硬質さよりも、人間らしい柔らかさを持つ人形を通して、浦原は浮竹の本質を垣間見たような気がした。
これで話ができる、と身を乗り出した浦原を制したのは横で控えていたテッサイだ。
「明日にしては、」
もう夜も更けましたし、と告げられ、今が早朝に近い深夜だと気がついた。
「ああ、もうこんな時間か、」
人形の修理作業にそれ程集中していたのかと驚いた。喉の部分だけだったが、人形の中の精密さはわかった。これからもっと調べられるのだと思うと眠気も飛んだ。しかし、人形の稼動年数を考えるとそろそろ休んだほうがよかった。この館で寝るのは流石の浦原にも抵抗があったので、一旦村の宿に戻ってから、という話をしていた時に、人形がああ、と声を洩らした。
「ウラハラキスケ、さん?」
「浦原でいいですよ」
「浦原さん、どうやら言語中枢に支障があったようです。ご不快な思いをさせたのでしたら、悪ぃな、」
それこそ、人形という名に相応しい喋り方になったが、所々、先ほどの口調に戻る。なかなか愉快な壊れ方をしたものだと感心するが、確かにそう頻繁に口調が変わるのはこちらとしても困りものだ。
「今日はもう遅いですし、明日にでもみましょ、」
おしまい、と再び口にしたら本当に眠気が襲ってきて、浦原はひとつ大きな欠伸をした。
館を離れることを拒否した人形をそのままにし、浦原とテッサイは館の錆びた門を出た。
闇に染まる館を振り返ると、壊れかけたドアの側にひっそりと人形が立っていた。振り返った浦原を見て、人形は流れるような仕草で礼をし、くるりと体を反転させた。笑いが込み上げる。普通客人が見ている前で背を向ける事はあまり誉められた事ではない。しかし、あの人形がやると失礼とは思わず、むしろらしいと思ってしまう。人間らしい個性を持ち、人形のような制限された行動をする。おもしろくなりそうだ、とテッサイに語りかけるように呟いた。
夜、館を去った浦原は次の日、陽が傾き始めた午後に来た。
この館を土地ごと買い取りたいと言われ、一護は困惑した。この土地の権利は主である浮竹にある。ただの人形である自分がどうこう口を出すような事ではない。それを正直に告げれば、ではアタシ達と一緒に住めますかと笑顔で聞かれた。
「一護サンが、アタシと一緒にいてもいいなら、此方を買い取ります」
嫌だったら、非常に残念だけど、諦めます。
優しく、男は一護が少しだけ掃除した部屋で笑みを浮かべた。この客人が、風変わりな事は暫く世に出ていない一護にもわかる。人形と住んでおもしろいかと思うが、恐らく男の目的は自分だともわかっていた。科学者だと名乗った男。浮竹の人形に、興味があるのだろう。昨日、男と出会った時に同じ事を尋ねられたら否と答えていただろう。主の願いは一護が生きる事。少しでもその危険があれば回避する。しかし、この男は一護を修理したのだ。現在、どれほど科学が進んでいるのかはわからぬが、この男になら、浦原になら自分の躯を見せても大丈夫だと判断した。それに。一護に触れた時の目が。浮竹に似ていた。肯と頷けば、浦原は目尻を下げて、嬉しそうに微笑んだ。笑えない自分が、嫌だった。
「じゃあ、決まったところで。一護さん、服脱いでもらえますか?」
「………」
「そんな胡散臭さそうに見ないでくださいよ…」
他にもどこか壊れたとこないか見ますから。腕まくりをし始めた浦原を見て、一護もシャツのボタンを外していく。露わになった躯は操り人形のような作りだった。シャツに隠された間接の継ぎ目がぱっと見でも、かなり傷んでいるのがわかる。自分でできる部分は補修していると言っていたが、それも完璧とは言えず。補強材の白さと躯本体に使われている素材部分が変色を起こして奇妙な色になっている。浦原は一護の躯を眺めて、そっと手を伸ばしてきた。
「触っても?」
「構わない」
言語中枢の異常はわかるのだか、一体どのような障害が起きているのかわからぬ一護にとって、自分が喋る度に苦笑にも似た笑みを浮かべる浦原にただ首を傾げるしかなかった。
人に比べれば鈍いが触覚も痛覚もある。そろりとなでる男の指の感触に、ぞくりと躯の芯が冷えた。鳥肌のたたない躯でよかった。そんな一護の様子に気がつないまま、浦原は丹念に一護の躯を点検しはじめた。
(2008/09改)
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