青年が何を言ったのか、男にはわかった。わかってしまった。
これが、浮竹のからくりなのだと。
白く、細い腕はそのひび割れのせいで作りものと知れた。しかし、青年の、人形の顔は。人には有り得ぬ瞳は髪と同じ蜜柑色で縁どられ、すっと伸びた鼻筋に、少し厚い下唇。肌の感触、産毛にいたるまで完璧な。それは“ヒト”であって。これが。この人形こそが浮竹のカラクリか。
ぞわり、目の前にある完璧とも云える人工物に、背に震えが走った。
「銘は?」
浮竹の作品にはみな銘がある。男がみた猫型のカラクリには『夜一』と銘があった。人形は唇を薄く開くが、その口から声は出ず。もしや。声が出ないのかと問う前に、人形は背を向け左耳の後ろ髪をあげた。耳の後ろにある骨が出た部分。刺青のような浮竹の烙印と、『一護』の文字。
「イチゴ?」
首を横に振る動作に、怒りのようなものが混じっている気がするが、深く考えずにでは何だと問うても人形は僅かに唇を開くだけ。読みが違うのかと呟けば再び首を横に振る。
「面倒っスね…キミ、喋れないの?」
声帯が作られていないのかとも思ったが、人形の様子からそうではないのだと判断する。すっと、人差し指が人形の喉に当てられた。とんとん、と何度か軽く叩く仕草で声が出ない原因を知った。
「声帯機能が損傷してるの?」
こくりと頷く人形の顔は無表情だった。では、声帯機能が上手く稼動すれば喋れるのだとわかった瞬間、軽い衝撃を受けた。浮竹を知るカラクリ。そして、今も活動し、人の言葉を理解し、喋る。柄にもなく、自分が興奮しているのがわかる。
「ねえ。そこ、直してあげましょうか?」
声が聞きたいと思った。そして、その形のいい唇からどんな言葉が出てくるのか、興味がある。かたり、と首を傾げた人形は、言葉の意味を理解しかねているのか、それとも考えているのか。
「実はアタシ、こう見えても科学者なんですよ。工学系も大得意」
いかがです?あなたも喋れないと不便でしょう。しかし人形は別に、とでも言うように首を緩く振った。キミには必要なくとも、こっちにはあるんです。
「いえね、アタシこの館買いたいんですよ。でも持ち主さんはこうですし」
墓に視線を流す。既に泣くなって百年になる人間だ。普通に考えれば亡くなった瞬間に所有者である権利を失っているだろうが、人形師の浮竹の名は大きかったのだろう。
男が訪れるまでに誰の手にも渡っていないというから、もしやこの人形が訪れる人間たちを追い払っていたのかもしれない。
ふと、浮竹の弟子らしき青年の存在を思い出す。浮竹亡き後も屋敷に留まっていたという青年は、確実に目の前にいるこの人形だ。今の姿ならばいざ知らず、当時の状態ならば簡単に人の目は誤魔化せただろう。
その時の青年の姿を見てみたいとも思ったが、それは叶わぬことだとすぐに斬り捨てた。
今、自分が欲しいのはこの屋敷と、目の前の人形だ。
「ですから、ずっとここに住んでるキミから話を聞きたくて」
どうです、ともう一度尋ねれば、今度ははっきりと悩んでいるのだとわかる顔。表情に変化はない。しかし、僅かな差が人形にはある。感情の起伏の細やかさに感動を覚えた。暫くの逡巡の後、人形は小さく頷いた。
「じゃあ、まずは自己紹介だ。アタシは浦原。浦原喜助といいます」
よろしくね、イチゴさん。
そう云って手を差し出す浦原を、人形が不機嫌そうに眉間に皺を寄せて見詰め返した。
痛覚の視神経を切断し、喉が開かれ、中の歯車が取り出される。
ウラハラキスケは、すぐさま喉の修理に取り掛かった。明かりと工具は大きな男が運びこんできた。一護を見て、一瞬驚いた様子だったが何も聞かずにウラハラキスケの言うままに明かりを取り付け、一護が見たことのない形の工具を取り出した。手際よく一護の体の構造を確認した男は難なく一護の喉を修理し始めた。少しばかり、男の腕に驚く。簡単には開けないよう何重かの造りをしているはずなのに。かたり、と錆びた歯車が机に置かれ、喉を風が通り抜ける。目が。じっと自分を見詰める目が、似てると思った。
かちり、かたり、かちり。
時を刻む音と、ウラハラキスケの作業の音が、子守歌のように一護を包む。
「……、…」
出ない声で『父』の名を呟いた。
(2008/09改)
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