賭けをしよう。
そう切り出した女の瞳が、悪戯を思いついた子供のように光るのを見て、男はにやりと、意地の悪い笑みを浮かべて返す。
命を賭ける事に美を見出せない女は、しかしそれよりも大事なものを賭けさせる。
さて、今回は何をこの我が侭な女王はお望みだろうか。
生に飽きた二人の暇つぶし。長い命の果てが見えず、時の流れに取り残された二人が見せた魔法は、誰に知られる事無く世界の果てで湧き起こる。
そして長い暇つぶしが始まった。
邑の祭りの手伝いを買って出たのは、友人の一人に告白を手伝って欲しいと言われたから。そんなものは自分で遣れと邪険に扱おうにも、シツコイ事が売りの友人は、まさしくその売りを存分に発揮した。
「なんで俺がそんな事しなきゃなんねーんだよ!断る!つかそういうのは水色が専門だろうがよ!」
俺は専門外!
断固とした拒否を叩きつけても、啓吾は情けない様を気にする事なくしつこく一護に付き纏った。茶色の髪に赤と緑に染まった髪飾りを垂らした啓吾の容姿は悪くはない。しっかりとした眉。愛嬌のある笑み。それでどうしてこうまで情けなく一護に縋るのか。その性格が災いして祭りで女達に誘われた事のない彼にとって、今回の祭りは特別らしく。
「だって!織姫ちゃんこの祭りの後お館様の所に奉公に行っちゃうんだぞ!絶対他の奴等も狙ってるって!だから、な?一護!一生のお願い!」
ぱん、と手を合わせ、頭を下げた友人の姿に、一護ははぁ、と溜息を漏らした。
一護たちの住む邑は、小さくもなく、けれど領主が住むほど大きくは無く。
ある程度の人数に、いくつかの名産品を生業としている、ありきたりな邑の一つだ。
と言っても、一護はこの邑から滅多に出たことは無く。知っている外界と言ったら隣の邑くらいだ。
それでも、この邑を訪れる旅人や、城下町まで品物を売りに行く商人から外の世界の話は聞ける。
道にひしめく人の波。
見上げる程の高さの建物。
見た事のない食べ物に、違う大陸の人種。
まるで御伽噺の様に未知の世界に、憧れないわけではないけれど。
一護は今の自分がまだ子供だという事もわかっていたし、何より、邑で一番こき使われる年代の一護に外の世界に思いを馳せるなんて暇はなかった。
他所の人間から言わせれば、何もない邑でも祭りが近づけばそれなりに騒がしくはなる。
その年に成人になる若者たちが主役ではあるが、祭りを心待ちにしているのは子供も老人も同じだ。
歳で大人だとは認められても、だからと言って今までの生活に変化が訪れるわけでもなく。
中には邑を出て、もっと大きな集落へと働きに出る者もいるが、大半が邑に留まっている。
啓吾にとって不幸だったのは、思いを寄せていた少女がその祭りの後、邑から遠く離れた領主の元へ奉公に行く事が決まった事だ。
明るい色の髪に編みこんだ黒い髪紐が、かさりと耳を擽る。
装飾に拘る一護たちの邑では、編みこんだ紐を髪に括りつける習慣がある。
殆ど装飾的な意味合いしかその飾りには残っていないが、邑の若集達の間ではその飾りに工夫を凝らす事が流行り、中には馬の尻尾の毛を編みこんでいる者もいる。
一護の髪紐は普通の麻で編んだ黒い紐だ。色素の薄い髪は年々明るく色を変え、今では染めたように眩しい色を放っている。
試しに幾つかの紐を試しては見たが、どれも髪の色に負けてしまう。今では諦めて黒く染めた紐だけを髪に編みこんでいるだけだ。
邑の老人たちでも鮮やかな色の紐を使っているというのに。一護だけは色を混ぜることなく、闇よりも濃い黒い紐。
己の格好を気にし始める友人たちに囲まれて、一護は何の色にも合わないその髪の色が嫌いだった。
服も、皆文様に赤や黄色、青や紫といった色を織り込むというのに。一護の服は、それだけ見ると酷く地味だ。
鮮やかな髪の色を、誰もが羨むが、一護は水色のような真っ黒な髪や、啓吾のように柔らかな茶色の髪に憧れている。
髪を染めようと思っても、この色はどの染料にも隠れず、斑の模様になるだけ。
必死に腕にしがみ付いてくる啓吾の茶色の髪に、緑と黄色の髪飾りが揺れる。
きっと、自分が啓吾や水色たちの髪を、瞳を羨ましがっているなんて事、二人は知らないだろう。
一護も言う気はない。ただ、ふと自分の髪の毛が黒くなればと願うだけだ。
喚く啓吾の声に辟易していると、水色はいい加減諦めたらと、一護に不利な打開案を出してきた。
そうだそうだと、煽られるように声を大きくする啓吾の頭を押し退け、この野郎と水色に食ってかかるが相手はすまし顔。
盛大な溜息を吐いて、仕方がないという姿勢を取るが、このしつこい友人に目をつけられた時点で一護の中で、この願い事は半ば受けるだろう事は決定事項だ。
「…で、俺は何すりゃあいいんだよ」
それでも、こうしてぎりぎりまで抵抗をするのは、惰性のようなものだ。
助かったと目を輝かせている啓吾は、実は自身もどういった役割につくのかを知らず、笑って誤魔化した所に腹に一発食らう事となる。
櫓、出店、飾りつけ。
祭りの主役である筈の自分達がなぜこんなに働かなければならないのかと、疑問に思っても仕方はない。
衣装や食べ物に関しては女が受け持つ事になり、つまり啓吾が好意を寄せている織姫とは役割が全く異なり、祭りの準備期間中、一緒に、というか会える事すらままならない。
織姫という少女に一方的に思いを寄せている若者は何人かいるらしい。
そのうちの一人である啓吾にとって、祭りでの告白を成功させる為にはこの期間でなんとか仲良くなりたい所らしいのだが。
「ちくしょう…どうして俺は男なんですか…!」
「いや、それは悩みとしてどうかと思うぞ」
櫓に使う木材を繋ぎ合わせながら、何度も何度もあぁ、と崩れ落ちる啓吾にうんざりしながらも、一々突っ込みを入れてしまうのは慣れだろうか。
麻縄で固定して、足で木を押さえ、力強く引く。泣き言を言い続けている啓吾を蹴り上げ、もう一方にも同じようにして木を固定していく。
水色は力仕事には向いてないとかで、女性陣に混じって布を繋ぎ合わせているらしい。
羨ましい限りだと喚く啓吾の頭を叩きながらも、確かに、このじめりとした空気の中、体力を使う仕事に比べて水色の室内作業が羨ましく思えた。
梅雨の明け切らないこの季節、陽の光りが翳ったと思った瞬間、叩きつけるように豪雨が襲ってくる。
何度か雨に打たれながらも出来上がった櫓は、祭り当日までは邑の倉庫に保管される。
休む暇なくこまごまとした仕事を押し付けられ、時折、女達に野菜や布を持っていく仕事は全て啓吾に回してやった。
ぽつり、と頬に雫が当たる。
雨かと思い、空を見上げてみるが、雲よりも晴れ間が多い。それでもぱらぱらと顔に当たる雫に、珍しい天気だと速い流れの雲を眺めた。
祭りで告白するんだと意気込む啓吾を他人事だと思って見てはいたが、どうやら大半の男が其々に想いを告げるらしい。
水色も誰かに告げるのかと聞けば、「一人だけって、難しいよね」と啓吾とは対照的な答えを返されて、応えに詰まってしまった。
一護には、想いを告げるような、そんな好意を抱いている相手はいない。
周りが浮き足立ってくるのとは反比例して、一護の気分は少しばかり落ち込んでいた。
どうも、祭りで共にいる相手を決めずにいる一護を哀れんでか、何人か知り合いの女性陣が誘いの言葉をかけてくるのも億劫だった。
もういっそ、当日は家にいようかとも思ったが、行事に五月蝿い妹達と、騒がしい親父が黙っていないだろうと直に諦める。
いつもの土砂降りではなく、頬を撫でるように落ちてくる雨は心地よく。手を休めて雫を受ける。
薄い膜のような雲が、陽の光りを遮る。一護はこの歳で十五になった。邑でのしきたりで、成人と呼ばれる歳。
けれど、十五という歳で何ができるかと言えば、何もないのだ。学び舎にはあと数年。働き手として雇われるのはそれからだ。
時折、織姫のように、この邑を出て行く者もいる。邑の小さな学び舎に通うよりは、と城に近い大きな集落に移って行く。
蛙が鳴き始めたのを合図にして、雨足が弱まっていく。
全身濡れたが、この気候だ。使いに行ってる間に乾くだろう。
水分を含んだ服は重く、べたりと肌に張り付き、正直気持ちのいいものではないが、この季節にそんな事は言っていられない。
邑から少し離れた場所にある祠に、祭りの為に一旦置かれている麻を取りに行くのだ。
一護にはよくわからないのだが、祭りに使われる物は全て、この祠に一旦預けるしきたりになっている。
報告するんだと、邑の老人達は言うが、一体誰に何を報告するのかさえ一護は理解していない。
まあ、神様か何かだろうと検討つけて、そのしきたりについては納得する事にしている。
邑には大小様々なしきたりがあるが、それら全ての理由を知っている者は殆どいない。ただ、昔から続いている事だから、行っているだけなのだ。
木々に挟まれた小道を進みながら、少しばかり水量の増えた小川の中を覗く。
大きな魚は泳いではいないが、小魚の鱗が陽の光りを反射してきらきらと水面とともに輝いているのを見るのは嫌いではない。
小さな川だが、この一帯にいる動物達にとっては大事な水辺だ。時折、近くの山から降りてきた珍しい動物を見かけることもある。
しかし、一護の目に飛び込んできたそれは、明らかに異色だった。
川縁の、大き目の石の上にいる蛙は、どうみても、光りの反射ではなく、黄色そのものだった。
小さな蛙だ。けれど、その色の異質さがどうにも珍妙に思えて。
だからといって、立ち止まって手に取る程興味を引いたわけではなく。
珍しいものを見たと、後で啓吾にでも教えてやろうと思っただけで、その場は歩みを止めることなく立ち去った。
その蛙が、じっと一護を見ている事に気がつく筈も無く。
そして、その蛙が派手だなあ、と呟いた事にも気がつかぬまま、一護は祠への道を進んでいった。
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