flog kick04
キスをしてくれる?
そう、ちょっとした悪戯心を込めたその台詞を、一護は真面目に受け止めてしまった。
目を見開いて、暫く固まっていたかと思うと、よし、と意を決したかのような気合を入れて。
いやまさか。否定しようとした思考を、蛙を大事そうに掌に乗せた一護の行動に消されてしまった。
彼は良く蛙を観察するように、その掌に乗せる事はあった。ぺたりぺたりと手足を動かせば擽ったいと笑う顔が可愛いと思った。
だけど、今の一護の顔を見ていて、そんな事を起す気も起きず。こちらまで伝わってくる緊張に、思わず固唾を飲んでしまう。
ひたりと目線の高さを合わせてきた一護の大きな瞳が、視界一杯に広がって。
引力を感じるのは、彼の瞳に、視線に魅力を感じているから。もし、人間の身体だったら、ふらりと近づいて、頬に手を添えてしまいそうな…。
ふわりと、口、というか顔に柔らかな感触が降る。
正直言って、今の自分の姿はまるきり蛙だ。理性とか、知性とか、何も感じ取れないくらいの蛙だ。
身体はぺたぺたしてるし、腹は内臓が見えるくらい白いし、しかも黄色だ。
そんな蛙の戯言を本気で受け取って、真剣にキスをする少年。
ちょっとこれは本気で可愛い。相手は蛙なのに、必死に目を閉じて、しかも優しく触れてくるなんて。
顔全体に受けたキスの柔らかさだとか、その時の衝撃だとかで、蛙は一護が顔を離しても暫く何も言葉が出てこなかった。
「…変わらない…な」
呆然としている蛙に気がつく事なく、一護は変化の起きない様子に、訝しげに眉を顰めた。
流石に悪戯に気がついたかと身構える。悪戯、といっても少しの本気も混じってはいたけれど。
「あ、もしかしてキスって口とかじゃないのか?」
蛙の姿で良かった。感情の機微を全く悟られる事のない両生類になれた事を始めて感謝してしまった。

「君は『蛙の王子様』って知ってる?」
「ああ。キスで人間になれるって…」
「そう、だからアタシは君に…キスを要求してみました。まあ結果はこの通り。現実はお伽話のようには行かないって事ですかねえ…」
肺を膨らませ、げこりと鳴く。溜息を吐こうとすると、いつも鳴き声が出てしまうのは難点だが、まあ滅多に無い経験だと思う事にした。
もう一護の手の上からは降りて、定位置となった石の上に移動した。石の冷たさを感じたら、さっきまで蛙を覆っていた一護の手の温もりを思い出して、誤魔化すようにもう一度鳴いた。
「なんか他に方法とかねえの?薬とか…」
「多分、そういうありきたりな事をする人じゃないだろうからなあ…」
時間はかかるが、魔法の構成が分かれば蛙に解けないものはない。
うんうんと頭を捻っている一護にその事を言わないのは、どうしようもない感情からくるもので。自分の事で悩んでいる一護の姿を見ていたいが為だなんて、それこそあの魔女の喜ぶ所。
「蛙の王子様は、愛するお姫様のキスで魔法が解ける…そういうの好きそうだと思ったんだけどなあ…」
「つか姫って俺か?」
「アタシ、この姿になってからの知り合いって言ったら君しかいないっスよ?」
「…」
「そんな嫌そうな顔で見ないでくださいよ…。比喩みたいなもんでしょうが」
「俺姫じゃねえし…つか愛するとか色々当てはまってねえじゃん」
「え、」
何気ない一護の言葉に、がつんと頭を石で打たれたような衝撃が襲ってきた。
別に、改めて考えずとも、一護が元は人間だと言っても蛙(しかも雄)にそんな想いを抱くはずは無い事くらいわかる筈なのに。
でもそんな。一護の口から直接愛なんて篭ってなかったなんて言われたら。
もう少しで石に頭を打ちつけるくらい、勢いよく頭を垂れた蛙に、何も気づかぬ少年は誰か女の子に頼むかなんて真面目に言い始めていた。


眠ったままの男の横に立ち、魔女は静かに溜息を吐いた。
最初は男の変わり果てた姿を想像し、愉快なものだと笑っていた筈なのに、悪巧みをする仲間が眠ったという状況に飽きてきてしまった。
いい加減早く魔法を解く鍵を見つけろと、自分で掛けた筈の魔女が苛々する始末。爪の先まで磨かれたように整えられた美しい手が、何かを撫でるような仕草で男の額へと掌を翳した。
すると、男の額に一つの点が浮かび上がり、その点を中心としてぐるりと文様が描かれ始めた。
浮かび上がった文様を眺めていた魔女は、ふむともう一方の手を顎へやり、にやりと妙齢の女性らしからぬ笑みを浮かべ、男の額に翳していた手を指先で円を描くように引っ込めた。
魔女の指先に吸い込まれるように文様が消え、何も残っていない男の額に、魔女のは容赦なく平手を打ち込んだ。
それでも男は眠ったまま。目覚める事はなく、赤くなった額に気がつく事なくに昏々と眠り続ける。
「早う、戻って来い。暇じゃ」
聞こえぬ事などわかりきっている魔女は、男の今現在の姿を思い起こし、踏み潰されずにはすんだか、と呟いた。
男に掛けた魔法は、いたって簡単な手法で解けるシロモノだ。記憶に鍵を掛けるアレンジは魔女のお手の物。
戻ってきた男に、魔法を解いた経緯を聞く事が、この賭けの商品。魔女の楽しみだ。
掛けた魔法を解いてきた男が、どのように変わっているのか見るのも一興だと、魔女はにいと口の端を吊り上げてその場から消えた。
寝息さえ聞こえない、静かな男は金が褪せた髪を好き勝手に枕に散りばめ、遠く離れた地へと意識を飛ばしていた。










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