こぽ、と水が溢れる音で、目が覚めた。
意識だけが浮上し、次に思考が重鈍に働きはじめる。とろりと、溶け始める拘束。体の隅々が起き始めた。重い頭を動かし、水音がした方へ目を向ければ。禿が布を水に浸し、小さな手で絞っている姿が。
「・・・・・起きましたか」
あまり表情に変化のない禿が、少しばかり目尻を下げてこちらを気遣うように小さく声を掻けてきた。返事をしようにも、枯れ果てた喉では叶わず。こくりと頭を動かすことで禿に答えた。
全身が、鉛のようだ。それも、当たり前かと苦笑が漏れる。この身を壊す勢いで交わり、相手の吐き出す吐息、熱、欲を全て欲した。どこから、そうなったのか。一護自身にもわかない。最初はただの客だった。花遊びに長けた、客だと。けれど気がついた時には男の全てに心を乱され、この身を乱され。
眠るように気を失うことなど、初めてだった。自分の体ではないかのように、自由の利かないこの体が、あの男の齎したものなのだと思うと胸にじんわりと、温かい何かが広がる。名も知らぬ男に、心惹かれ。籠に囲われた娼が、何を想うのか。
嘲るように笑ってみせるが、その顔はただの泣き顔になり、最後は嗚咽を抑えた苦しい慟哭に変わった。この街で生き抜く為に、抑えてきた感情がこみ上げる。自分の身に降りかかった怒り、苦しみ。まるで月のようだと、見惚れた髪を緩やかに跳ねさせた男への、身を裂くような想いが。
顔を覆った一護に、禿が恐る恐るといった様子で、手を重ねてきた。水で冷えた小さな手。高い子供の体温ですぐに温まったが、その温もりに力が抜けた。礼を言って、酷使した体を起こす。
ふとした、違和感。昨夜の行為の激しさに比べ、体の痛みが少ない。
局所に感じる鈍痛はあるが、動けない、という程ではない。余韻の残る体。けれど、あの嵐のような激しさが見つけられぬ体。どうしたことかと己の体を点検していると、朝餉――といっても既に昼過ぎだが――を持ってきた禿が、そういえば、と呟いた。
「昨夜のお客様が、『鬼道で少し治しましたが、無理はしないでください』との言を。」
鬼道。ということは。
「死神、か・・・」
死覇装を身に纏い、闇に落ちた魂魄を消化する者達。
一護も、何度か死神と相対した事はある。客として、迎えた事もある。しかし、その時の死神たちと、昨晩一護を買った男がどうしても頭の中で繋がらない。過ぎた力を持っている。それが、一護が今まで会った死神たちに抱いた印象。けれど、昨日の死神は。
そっと、下腹に手を当てる。まだ、あの男の肉が埋まっているような。泣きたくなるほど、幸せな余韻に、一護はしばらく酔いしれた。
既に夜見世の準備が始まっていた階下に急いで降りれば、お前さんは今日はいいと遣り手に追いやられる。
「昨日のお客さんが余分に金を置いていったのさ。今日一日、あんたを休ませてくれってね」
愛されたねぇ。かかかと決して好意的とは言えない笑い声を遠くに感じた。胸元の、襟を掴む手に力が篭る。男の容姿を思い出し、熱くなるものがあった。望んでも、決して得られぬ未来を想像してしまう。穏やかに笑う男の隣、自分の笑顔があることを。
客は取らなくていいと言われたが、一護は見世に出た。
男に抱かれた体を、誰にも触られたくなかったが、はやく誰かに男の残り香を消して欲しかった。愛撫された肌も、愛された身の内も、求められた唇も、男の痕跡など、跡形もなく消し去って欲しかった。男に、溺れてしまう前に。急がなくては。けれど、死神は再び一護の前に現れた。
夜、見世に出、格子越しに品を定める視線から逃れるように、顔を背けた視界の隅。月の光を感じ、まさかと目をやれば。格子越しに、男は少し困ったような表情でに柔らかな笑みを浮かべて、片手を上げる。柔らかな目元から目が離せない。月のような髪に触れたい。裾から覗く力強い腕に、抱かれたいと。
どくりと、体の奥から大きな塊が伸び上がる。
身を駆けた疼きに、一護は知らず知らずのうちに手に力を込めていた。
客だ、と名を呼ばれても身体が石のように動かなかった。はい、と答えたつもりだったが、返事はできていたのだろうか。立たなくては、と身体に力を込めれば込めるほど、着飾られたこの身は自由には動かず。ちょっと、と隣の娼に声をかけられたが、視線も意識も、全て玄関口に立ってこちらを見ている男に向けられていた。
少し困ったような、だけど、確信めいた笑み。
ああ、と身を崩す。既に囚われてしまったのだ、と。
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