はぁ、と息を吐き出せば視界を白が占める。
寒くなった、と手袋を嵌めた手を摺り合わせながら実感。
服の隙間から冷たい空気が入り込み、一護の体を冷やしていく。
すぐだから、と上着を着てこなかった事を後悔した。
凍える風に耐えきれず、早足で目的地に向かう。
角を曲がって、顔を上げれば見慣れた看板。
いつもなら店先で戯れている子供たちも流石に寒いのか今日は姿が見えない。
じゃり、と、人気のない通りに、一護の靴音が響く。
既に落ちかけている陽に当てられ、浦原商店の看板が赤くなる。古びた風情の、この駄菓子屋が、生まれた時から住んでいるこの街にある事を知ったのはつい最近。一護の通っていた学校区域から離れていたせいか、今まで気づく事なく過ごしてきたけれど。でも、きっとそれだけじゃない。決して、人通りが少ないわけじゃない。駄菓子を買いに来る子供に混じってやってくるのは人かそれとも。どうして、駄菓子屋なんか、と疑問に思っていた事を店主である男にぶつけてみれば、返ってきたのは。
「あまり客が多いのもよろしくない。かといって、全く売れないというのもよろしくない。だったら、子供相手の商売で、あまり大人数が来ない店にしようかと思いまして。」
それに子供は現と幻の区別があやふやだ。あっちの客を不審に思わないのもいい。そう言って、扇子で隠した口元がうっすりと笑ったのをなる程と思って見ていた。まだ、見れていた。
「こんにちは」
からからと、ガラス戸を開ければ待ち構えていたように奥から男が姿を現した。たたんだ扇子を口元にあてがい、緑と白の縞模様の帽子が目元を隠す。時代錯誤な緑の作務衣に黒の羽織。この寒さでも脛半分を出す長さと、胸元を広くあけた衣服。胡散臭い男だ。初対面から抱いた印象は変わらない。
「おやぁ、いらっしゃい」
「ちわ、」
当たり前のように一護を出迎え、それに当たり前のように挨拶を返す。初めて、ここを訪れてからそれは変わらない。浦原が先を歩いて、一護を、2歩後ろを歩く。それも、変わらない。
通された先には堀炬燵と小さな盆に乗せられた、切られたケーキ。
「今日、クリスマスですよ」
知ってました?
表情を読ませない帽子の下から、笑いを含まない声。あまり機嫌はよくない。原因は、多分。
「知ってる。だから、来た」
舌打ちをして、縞模様の帽子を上から手で抑え、最悪だと零す。帽子から覗く目が細い。
「ねぇ、黒崎サン。今日はこれ食べて、帰ってくれませんか?」
どかり。胡座をかいて座る男の向かい側に腰を下ろす。さも迷惑そうな、所作と声。天邪鬼気質な自分に、その反応は逆効果だと、知らないわけじゃないだろうに。
「家には帰るけど、ケーキも食べるけど、帰らない」
わからないかなぁ。
「帰って欲しいんスよ」
小さな子に言い聞かせるような声音で、突き放すような冷たい目で言われた拒絶を痛くないとは言わないけど。
そうやって、一護を帰らせようとしたり、まるで興味がないのだと言うような仕草を見せ付けるようになったのは、いつからだろう。そう、遠くない。
遅いんだよ。
一護は知ってしまったし、思ってしまった。今更の抵抗に、怒りさえ感じる。でも、逆にそんな浦原の行動で決心した。覚悟を決めるのは、あんたのほうだ。
ここで帰ったら、あんたはいつもと変わらない、薄っぺらな笑顔を貼り付けて、一歩も近づかせてはくれないだろうから。
だから言うなら今。
「浦原、さん」
こくりと、喉がなる。緊張しない、筈がない。
「…ねぇ、お願いだからそれ以上は言わないで」
視線を反らして、また逃げようとする。逃げたら、追う。
「俺は!…こーゆう、中途半端つーか、はっきりしないのは嫌なんだ。」
じわ、と温まる体温とは反対に、決心した気持ちに冷気が流れ込む。こんなに、緊張したのは、初めてかもしれない。
なあ、アンタと出会ってから、俺、知った事、沢山あるんだ。喧嘩を売るような気持ちで、言葉をぶつける。
「あんたも、俺もわかってるんだ、本当は。だけど、アンタは絶対自分から切り出さないだろうし、俺は、その、こんなのは初めてだし」
本当に伝えたい事がなかなか出てこない。早くなる口調に、頭が追いつかない。ただ、感情を吐露しているだけで、焦りがさらに一護を追い立てていく。
「あー…違うんだ。違う。その、つまり…俺が言いたいのは、さ」
あんたが好きなんだ。
今にも泣き出しそうな声が出て、自分で驚く。失敗した、と悔しさと恥ずかしさでじわりと視界が揺らぐ。もっと、言いたい事がたくさんあって。アンタと一緒にいた時間とか。ふざけたアンタの笑い声とか。
強さとか。
弱さ、とか。
もっと、沢山言いたかった言葉が。
「…店に入れるんじゃなかった」
冷たさも、温かさもない声。ぐっ、と喉がつまる。
浦原は、引いた。
一護から、引いた。
今、視線を逸らしたらきっと、我慢できない。じわりと熱くなる目頭に力を入れて、喧嘩を売るように浦原を睨みつけた。
はぁ、とこれ見よがしな溜め息。
「店に入れたら、もう受け入れたも同然じゃないか。ああ、失敗した」
かくり、と緑と白の縞模様が入った帽子が頭と一緒に机に置かれる。潰れた帽子のつばの横から淡い色の髪が散らばる。
想像していた男の様子とはかけ離れた姿に、一護は目を見開いて首を下げる。覗きこむように顔を下げていけば、がばっと浦原が顔を上げた。
「う、あ」
「ねえ、黒崎さん。門限破れませんか?」
炬燵に二人して乗り出している格好は、間抜け以外の何者でもないが、今ここには浦原と一護しかいなくて。二人しかいなくて。だから一護はそれを避けなかった。ふ、と触れた唇に赤くならなかったのはきっと浦原の顔が見れたから。赤くなる前に、息を呑んだ。
「破る」
あの五月蝿い親父がなんというか、とか、朝から張り切って色々作っていた遊子の事とか、面倒くさいと言いながら、サンタ帽子を外そうとしない夏梨だとか。その時はちらりとも頭を掠めなくて。
「ああ、よかった」
帰るって言われたら、どうしようかと。
困ったように、緩やかに笑われて、皮膚の下で熱が生まれる。熱いくらい、だ。不安に、思うのかあんたも。口にしなくても伝わったのか、男の弧を描く眉がひょい、っと上がる。
「アタシも不安に思う心がある。誰かを思って哀する心も」
誰か、なんて言ってる癖に、頬に伸ばされた手が、それはキミだと告げている。
哀する心も、愛する思いも、一護はどっちも知っている。だから、やっと知った。
冷たい手が、こんなにも心地よいのだと。
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