空から降ってきたのは
鳥でも、ましてや天使なんかでもなく
血に塗れた一人の男
目前にある光景を、一護は呆然と眺めることしかできなかった。
陽はとうに暮れ、先ほど現れたばかりの月の光しか当たらない、暗い倉庫の中。大きな天窓として使用されていたガラス張りの屋根は今では大きな穴が空いており、そこから差し込む夜の光の元、乱雑におかれていた荷物の上に壊れた人形のように四肢を投げ出している男の姿を、一護は目を見開いて見つめていた。
かしゃん、と天井から落ちてくるガラスの破片が一護の足元で弾けた。
仰向けに倒れている男の体の下からは、止まる事なく血が流れ出ている。
濃厚な血の臭いが鼻を掠めたところで、やっと一護は目の前にいるのが『怪我人』であると気がついた。それも、今まで一護が見たこともないような大怪我をして。
慌てて声を荒げた。
「おい!!大丈夫か!?」
どう見ても、大丈夫とは云いがたい状態ではあったが、何がしかの反応を期待してかけた声だ。内容はどうだっていい。駆けつけて、相手の状態を見ようにもその男はあまりにも血に塗れていた。
父親が医者で、実家は小さな医院ではあるが、一護が知っているのは簡単な怪我の処置だけだ。見ただけで全身に致命傷を負っているような怪我人相手に、一護ができることは呼びかけ続けることと、救急車を呼ぶことだけだ。
どっから血が出ているのかさえわからない状態の男を覗きこみ、おい、と何度も呼ぶが返事は無く、取り出した携帯で急いで救急車を呼ぼうとしたが、結局通話のボタンを押す前に一護は携帯を取り落とす羽目になった。突然腕を掴まれたからだ。それも、声を呼びかけてもぴくりとも反応を返さなかった、血だらけの男に、だ。
血だらけの、生死不明の男を前にしても慌てはしたが、パニックには陥らなかった一護ではあったが、さすがに自分の自分の腕を掴むその手には驚いた。
掴まれた腕を反射的に振り払いそうになるのをなんとか留め、よく見れば浅く呼吸を繰り返している男へと声をかけた。
血がこびりついた顔は外の明かりだけを頼りにみても色味が全くと云っていいほどない。それでも意識があるのならば、と、もう一度大丈夫かと問掛ければ、男は小さいならがも返事らしき声をあげた。
「おい!大丈夫か?!今、救急車呼ぶから・・・!」
「・・・めて」
「え?なに?!」
「・・・や、めて・・くださ・・・」
番号を打ち込んだところで落とした携帯を拾い、急いで通話ボタンを押そうとしたが、かすかに聞こえた声が発した言葉に、通話ボタンを押そうとした指がとまった。
驚いて男を見下ろすが、長い前髪に隠れて男の顔は良く見えない。浅く荒い呼吸を繰り返すだけの男にさっと血の気が下がる。
「なに・・・!だって、あんたすげえ怪我してんだぞ?!何云ってんだ?!」
力が入っていない腕は小刻みに震えを一護に伝えてきている。医療の知識の無い一護からみても、この男の状態が危険なことはわかる。それくらいに酷い血の量なのだ。だというのに、男はゆるく首さえ振ってみせた。
「びょ・・・院は・・・」
だめ、と今にも消えそうな掠れた声にじれても、一護の腕を離そうとしない血まみれの腕が最後のボタンを押すのを阻止している。構うことなく通話のボタンを押してしまえばいい。そうしなければいけない、と、わかっていても力の入っていない手を視界におさめてしまうと、何故か躊躇してしまう。上下する胸の動きも、かすかなもの。耳をすまさなければ聞こえてこないような小さな呼吸の音にじわりと汗が浮かび上がってくる。
「でも、あんた・・・!死んじまうぞ!?」
(続きは『夜に浚われないように』に収録)
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