新聞配達
かしゃん、と自転車のペダルが擦れる音が人一人いない道に響く。
朝日が昇る前のこの時刻は、夜の中で一番闇の色が深い。空に瞬く星を見上げ、視界の広さに歓声を上げたのは、もう何時のことだったろうか。夏よりも、冬の方が星がよく見えると知ったのは、こうして新聞配達の仕事を初めてから。星や星座の名前など、城之内にはわからないが身を突き刺すような寒さの中、自転車で冷たい風を受けながら見上げる星々は体中にある傷の痛みを和らげるような、そんな効果がある気がしたのだ。それは、本当に気のせいではあったのだけれど。
昼間や夕方、人通りがある時間帯では聞けない、静寂の中に響く金属音に身を竦めていたのは、もう昔のこと。普段は気にも止めない、自分の立てる音の大きさと多さに驚いたのも、その時のこと。まだ、城之内が小学生の頃だ。
からから、とあちこガタのきている自転車が、タイヤが回るたびに音を立てる。走って新聞を配っていた頃に比べれば、真冬であろうとも、例え薄い上着だろうとも随分とマシになったものだ。手袋の変わりに配達仲間から貰った軍手で寒さを凌いではいるが、この季節、どうしたって城之内の手は霜焼けで赤く切れている。それを見た杏子が怒りながら寄越したクリームのお陰で大分指先の痛みは引いたが、自転車を漕いでいる時の身を切るような寒さが和らぐわけではない。
新聞の束をポストに投函しながら、何度か吐息で指先を温めてみても、指先の感覚は寒さの痺れを通り越してもう痛みさえ感じなくなってしまっている。
この季節は仕方がないか、と使いすぎて薄くなったマフラーに顎を埋めて吐息を吐き出した。夜明けまでは、まだ時間がある。手元にある新聞も残り僅かで、慣れた配達ルートを少し変えたとしても終了予定時刻までは、まだまだ余裕があった。
今日は早めに終らせて、早く暖房のある本部に戻ろう、と自転車のペダルを力強く漕いだところで、視界に否応が無く飛び込んできた長大な白い壁にふと気が逸れた。城之内の配達ルートに沿って続く長い壁。長さも半端無いが、高さも半端の無いこの中にあるのは、広さも大きさも城之内の常識外に屋敷がそびえ立っている。そこに住んでいる人間も、城之内の常識では計り知れない人間が住んでいるのだが、そいつの事を考えるだけでどこからかあの高笑いが聞こえてきそうで城之内は自転車を漕ぎながら頭を振った。
そのせいで少しよろめいたが、慌てて立て直して、傍の道を曲がる。なんとなく、屋敷の主である男に対して愚痴めいた言葉を漏らしてしまう。唯の八つ当たりではあったが、幾分気は晴れた。
「ったく、海馬の野郎…いてもいなくても迷惑せんぱんな奴だな」
高い塀を見上げながら、人を見下した青い目を思い出す。





戻る